森本あんり 著
2015年04月09日
いい意味で期待が裏切られる本というのが、ままある。今まで「そういうものだ」と思っていたことが、決してそうではなかったのだと思い知らされる本で、そういう本は間違いなく良書である。
『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』(森本あんり 著 新潮選書)
本書を書店の棚で見かけたとき、ここにはいま感じている〈気持ち悪さ〉の拠ってきたるところが描かれていると直観した。
だから著者が「はじめに」で、反知性主義とは「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」のことであるという作家・佐藤優の定義や、社会の大衆化が進んで人々の感情を煽る言動で票を集めるような政治家が現れたことに反知性主義の高まりを見る、という教育社会学者・竹内洋の知見を紹介しているところを読むと、わが意を得たりと膝を打つのである。
ところが一面にはそういう要素を含むにせよ、アメリカで生まれたこの言葉はもっと違ったポジティブな意味を持っていて、すなわち、「本来『反知性主義』は、知性そのものではなくそれに付随する『何か』への反対で、社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だった」という下りを読むに至って、待てよ、と身を乗り出してしまう。
反知性主義とは、アメリカという特殊な国(これを著者は「キリスト教を信じる人は他の国にもたくさんいるが、進化論を真っ向から否定するような議論が責任ある地位の人びとの口から平然と語られるのは、アメリカだけである」と表現する)のキリスト教を背景に生まれたイデオロギーであり、それも、建国以来何度かにわたって訪れたリバイバリズム(信仰復興運動)の波に密接に関係があるのだという。
そこから著者はアメリカのキリスト教史のなかでリバイバルの主導者となった人物たちを取り上げながら、反知性主義の本来の意味を説いていく。
何しろ著者、森本あんり氏は日本におけるリベラルアーツのパイオニア、国際基督教大学で牧師を務める神学の泰斗であり、たまたま同校を卒業した知人によると、氏の講義は常に大人気で、説教を受けると入信者が続出することで有名だそうだ。
何より文章がいい。平易な語り口で決して単純ではないキリスト教の歴史を、リバイバリズムという言葉すら知らなかった当方のような不信心者の頭にもすっきりと収めさせてしまう。
本書の大部を占めるリバイバリズムの歴史を、少ない紙幅のなかで乱暴に約(つづ)めてしまえばこういうことだ。
アメリカという国はそれ自体、「旧いイングランド」を脱したピューリタンが、神との新しい契約のもとで「新しいイングランド」を創設するという壮大な実験だった。
その実験の担い手である入植者は概ね高学歴で、およそ40家族に1人がケンブリッジ大学かオックスフォード大学の出身だったという。またそのほとんどが牧師であり、彼らがまず心配したのは、次世代の牧師をどのように養成するか、であった。
だから入植して何より先に彼らが考えたのは牧師養成機関としての大学を作ることで、そのためのハーバード大学が出来たのは、最初の入植からわずか16年後だという。
それだけ知性が重んじられたわけだが、その知性主義は次第に権威と結びつき、既得権益をむさぼるようになった。
最初のリバイバルはそこで起こる。
すなわちそれは権威と結びついた知性主義者たちから民衆に信仰を取り戻す運動であり、その主導者は教会も持たず、牧師の資格さえ持たずに命がけで土地土地を巡り、布教活動をする「神の行商人」であった。
分かりやすく、面白いたとえ話を使って神の下での平等を説く彼らの辻説法は、人口が爆発的に増え、同時に生まれた字も読めず教養もない層に熱狂的に受け入れられた。
それが反知性主義の原点であり、もっと言えばアメリカという国の原点でもある。
その後何度となく訪れるリバイバリズムの波のなかで主導者が演ずるのは、信仰に基づいて権力に昂然と挑戦するヒーローの役回りである。
誤解を承知で言えば、本書で描かれる彼らに触れて彷彿とさせるのは、常に大衆に寄り添って知的権威と闘った吉本隆明のような思想家の姿だ。
ところが時代が下るとリバイバリズムはビジネスと結びつき、異様なモンスターへと変貌を遂げる。
巡回伝導者はまるで巡回セールスマンのような様相を帯びる。彼らは信仰とビジネスの相性がいいことを本能的に知っていた。そして両者を合体させるととてつもない相乗効果を生むことを実践してみせた。
彼らは大手メディアを使って宣伝し、集会に効率的に人を集める術を身に付けた。同時にまた、信仰は音楽と結びつき、讃美歌は集会を盛り上げて、リバイバルは次第にエンターテインメント化していった。
ここにもまた、反知性主義の一面、あるいは現代アメリカの萌芽を見ることができる。すなわち宗教的な平等理念が経済的な実用主義と奇妙に結びついてそれが矛盾しないのだ。
こういう構造を権力の側が指をくわえて見ているわけがない。本来、富や権力に対する民衆の反感を基盤としてのし上がってきたはずの反知性主義のヒーローは、皮肉にも大企業や権力に取り込まれてしまうことになる。
ここに至って冒頭に述べた「今まで『そういうものだ』と思っていたことが、決してそうではなかったのだと思い知らされる」というのが反転する。
反知性、反権力を気どってエンターテインメントに走ったメディアの寵児が、いつの間にか権力に取り込まれ、それどころか権力に媚を売る存在に変貌してしまうという話は、どこやらに転がっていはしまいか。
天は自ら助くる者を助く。セルフヘルプ指向が高じてポジティブ病に取り憑かれたアメリカが生んだ「自己啓発ブーム」、あるいは「お金持ちになりたいブーム」をそのまま鵜呑みにしてなぞる人々が、気が付いてみると周囲に溢れていはしまいか。
もちろんわが国とかの国では、宗教的な事情がまったく異なる。だからこそ「やおよろずの神」が共存共栄するような国が、キリストとマホメッドとの争いになまじ加わってはならないとも思う。もしそこに関わるとしたら、こちらの神もあちらの神もいていいじゃないか、という仲裁役としてしかないだろう。
閑話休題。末尾近く、著者は最近の政治家などに見られるような似非の〈反知性〉を峻別してこう説く。「知性が欠如しているのではなく、知性の『ふりかえり』が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である」
かの国の宗教史を語ってわが国のことを深くふりかえらせる……そういう意味では瞬間芸的な新書企画が跋扈する昨今の出版事情の中にあって、実に選書らしい選書企画に出会った気がした。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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