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[書評]『経済学の宇宙』

岩井克人 著

木村剛久 著述家・翻訳家

資本主義の秘密がわかった  

 著者、岩井克人の名前を知ったのは、1985年に出版された『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫)が、評判になったときで、それを読んだときは、軽い衝撃を覚えた。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』が、資本主義論として読み解けるなどとは思いもしなかったからである。

 『ヴェニスの商人』が、遠隔地貿易をおこなうアントニオと、ユダヤ人の高利貸シャイロック、その周囲の女性たちをめぐるドラマであることはよく知られている。

 物語は愛と正義が貨幣の呪縛を解き放つことで、大団円を迎える。交易商アントニオにからめて、著者は資本主義がいかにして利潤を生みだすかを原理的に検討した。さらに、嫌われ者であるシャイロックをみていくと、そこにひそんでいたのは、まぎれもなく貨幣の問題なのだった。

 愚かにも、当時ぼくは、こうした読み解きがマルクスの『資本論』を下敷きにしたものだと思いこんでいた。

 数学が苦手な者には、高度な現代経済学の世界はまったくといっていいほど理解できない。しかし、本書は著者が巧妙なインタビュアーにこたえて、みずからの「経済学との格闘」を語るという体裁をとっているので、素人でも現代経済学の世界に接近できるところがありがたい。と同時に、本書は著者の歩んだ人生の軌跡を語った、味のある自伝でもある。

『経済学の宇宙』(岩井克人 著 日本経済新聞出版社) 定価:本体2800円+税『経済学の宇宙』(岩井克人 著、前田裕之 聞き手 日本経済新聞出版社) 定価:本体2800円+税
 著者は東大経済学部で、小宮隆太郎や宇沢弘文のもと、現代経済学、とりわけ新古典派の体系を学んだ。

 そのまま大学院に進もうとしたが、東大闘争のあおりで、大学院は封鎖されていた。

 留年を覚悟していたところ、経済学部の何人かの教授が推薦してくれ、マサチューセッツ工科大学(MIT)に進学できるという幸運に恵まれた。

 留学の費用も、アメリカの婦人団体の支援や奨学金でまかなわれたという。大学院時代にサミュエルソンやソローの助手を務めたというから、よほど優秀だったのだろう。

 しかし、著者の関心は、次第に新古典派批判へと向かっていく。エール大学の助教授になってからは、『不均衡動学』の執筆に没頭する。それが完成するのは、ようやく1980年になってからである(のちに『不均衡動学の理論』岩波書店)。 

 資本主義は需給法則にもとづいて、常に効率的で安定的な均衡に向かっていくというのが、アダム・スミスの考え方を純化した新古典派の考え方だった。これにたいし、著者は「資本主義は本質的に『不安定的』である」という見解を打ちだした。

 その理由は、資本主義が貨幣経済のうえに成り立っているからというものだ。この結論はアメリカの経済学界では広く受け入れられなかった。ケインズを普遍化しすぎたというより、マルクス主義的と受け止められたためではないだろうか。

 本書を読むと、ベストセラーとなった『ヴェニスの商人の資本論』にいたるまでに、著者が現代経済学の主流たる新古典派、それにマルクス経済学と拮抗しながら、資本主義論や貨幣論を追究してきたことが、あらためて確認できる。

 著者によれば、資本主義とは「利潤を目的として企業活動がおこなわれる経済システム」にほかならない。すると、そもそも利潤はどこから生まれるのか。

 マルクスは、利潤(というより、その根源としての剰余価値)が、資本家による労働者の搾取によって生まれるとみた。

 しかし、それがあやまりだと考える著者は、シュンペーターのとらえ方を持ちだす。資本主義が動態的だとすれば、企業は「新しい消費財、新しい生産方法、新しい輸送方法、新しい市場、新しい組織形態」を常に創造しつづけるなかでしか、利潤を確保できないというのである。

 さらに、著者は歴史をふり返り、利潤の源泉について考察する。

 大昔から存在する遠隔地交易が利潤を生みだすのは、二つの市場のあいだの価格差を利用することによってである。19世紀の産業資本主義は、農村に過剰人口が存在するなか、機械制工場システムのもとで、高い労働生産性と低い実質賃金率の「差異」を利用することによって利潤を生みだした。

 そして、ポスト産業資本主義時代になると、賃金率も上昇するため、企業は差異をつくりだすイノベーションによってしか、利潤を確保できなくなるという。

 その差異化のなかに非正規労働の導入も含まれているかどうかについて、著者はふれていない。しかし、いずれにせよ、利潤は「搾取」によってではなく、「差異」によって生まれるという理論が打ちだされたのである。

 著者の貨幣論について知りたい方は、直接本書にあたってほしい。「貨幣とは貨幣として使われるから貨幣である」という謎のことばの意味もわかってくるだろう。

 ここでめざされていたのも、ふたりのカール、すなわち新古典派のメンガーとマルクスを克服することだった。資本主義の本当の危機は、恐慌ではなくハイパーインフレーションであるという理由についても納得がいく。

 『貨幣論』(ちくま学芸文庫)をまとめたあと、著者は法人企業の理論を構築した。そのきっかけは、日本型企業システムについてアメリカで講義するうちに、「会社」とは何かという疑問に突き当たったからだという。

 しかし、それもまた、資本家と労働者の階級闘争を想定したマルクスを克服しようとした試みと理解できないだろうか。

 法人企業としての会社が存続するためには「社会による承認」が不可欠であり、会社経営者は自己の利益を追わず、会社の利益向上に忠実な経営をおこなう義務があるという考え方は、これからの会社のあり方を考えるうえで、重要な示唆となるだろう。

 現在、著者は「言語・法・貨幣論」を構想しているという。

 人間が知り合いどうしの、ごくちいさな共同体だけで暮らしていけるなら、言語や法や貨幣はいらない。しかし、人がさまざまな人が活動している社会のなかで暮らすようになると、そこには何らかのルールが必要になってくる。

 そのルールが言語、法、貨幣に表象されている、と著者は考えているようである。いまでは、そういう大きな社会、すなわち世界のなかで、人は定められたルールを守りつつ、かつての共同体での禁忌に縛られず、自由に生きることをめざしている。

 ところが、現実の世界においては、言語にせよ、法にせよ、貨幣にせよ、そうした社会的ルールは、変転きわまりない、せめぎ合いの状態にあるといってよいだろう。

 勝手に想像すれば、日本でも100年後には、日本語が家庭のなかでしか話されない第2言語、一種の方言になっている可能性だって考えられなくない。新たな憲法がつくられれば、国のかたちはすっかり変わってしまうだろう。

 さらに、たとえば50年後にアジア共通通貨「円元」が導入されることになったとしたら、国際経済の秩序はどうなっていくのか。

 言語・法・貨幣のルールが変われば、国家の枠組みは様変わりする。いまや経済学のコスモスを越えて、世界にまで関心が広がろうとしている著者の探求を、これからも見過ごすわけにはいかないだろう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。