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[書評]『変わらないために変わり続ける』

福岡伸一 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

生き物としての街を活写する  

 生きているとはどういうことか? ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)をはじめとした作品で、著者は分子生物学者として、この問いをめぐって書き続けている。

 「分子生物学者として」とは言っても、その作品が専門家でないと読めない内容でないことは、一度でも著者の文章に触れた読者ならよくわかっていただけるだろう。

 福岡ハカセの文章は、本文に出てくる化学記号や学術用語を知らない読者をも「ある流れ」にいざなうので、読む者は知らず知らずのうちに、その流れに乗ることになる。それこそ物語を読むような、ミステリーを読むような感覚を味わうのである。

『変わらないために変わり続ける――マンハッタンで見つけた科学と芸術』(福岡伸一 著 文藝春秋) 定価:本体1300円+税拡大『変わらないために変わり続ける――マンハッタンで見つけた科学と芸術』(福岡伸一 著 文藝春秋) 定価:本体1300円+税
 今回の本では、読者はニューヨークという街にいざなわれる。ハカセにとって、研究者としての「忘れ得ない出発点【エートス】」となった街であり、さまざまなプレッシャーやストレスのなかで若き日を過ごした街である。

 25年ぶりに、著者はサバティカルを利用して、ニューヨークにある母校でもあるロックフェラー大学に帰還する。

 そうして分子生物学者として、生き物としての街・ニューヨークを解剖し、活写する。つまり「街が生きているとはどういうことか」という問いが、本書を貫く一本の太い糸である。

 タイトル「変わらないために変わり続ける」は、「生命を定義するキーワード」として著者が長く使ってきた「動的平衡」という概念を表すと同時に、生命体としてのニューヨークという街の特徴を表してもいる。

 著者は述べる、「ニューヨークのダイナミズムは、一切の固定、不変、滞留を許さない。あらゆる同調圧力、均質化傾向に反発する。それがこの街に集まる人をして、とてつもない不自由の中に、限りない自由を感じさせるのだ」と。

 生き馬の目を抜く研究者の世界の動静、旧友との再会がもたらす感慨、異文化に対して抱く違和感と自由の感覚、食への飽くなき探求心(鶏を買い付け、さばき、料理するまでを見届け、最後はきれいに食すまでを綴った項目は圧巻)、文学・芸術への愛情……など、興味深いテーマが続くなか、生命科学の最前線を話題にしたエッセイ群にとくに目が留まった。

 過去の著作『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)で懇切に述べられた、科学者のねつ造問題の現場となったコーネル大学を訪ねた模様を綴ったエッセイでは、「当時を知る人々に話を聞き、謎を解」こうとする。「ねつ造」の動機はどこにあったのか、どうしてそこまでのエネルギーを「ねつ造」に注げるのか、と。

 このエッセイの後には「STAP問題」についてのエッセイが続くのだが、「科学研究における論文捏造事件を調査」する著者は、ねつ造をおこなった当人にあった「フェイクの徹底ぶり」に最大の関心を向ける。

 そして、「ときとして人が陥ってしまう暗く深いクレバス」に思いを寄せる。

 そうした思いはやがて、仰ぎ見る作家・井伏鱒二の代表作にネタ本があるといった話などを引き合いに出しながら、人間が持つ「陰影」とは?という問いにつながっていく。

 本書は、週刊誌連載の短めのエッセイを一冊にまとめたという性格上、著者のほかの作品にあるような、ストーリーを読み進める醍醐味は感じにくい面がある。しかし、一見バラバラに見えるエッセイ群の底を縫い合わせる何本かの糸を読みこむ楽しみが、読者には与えられている。

 「街が生きている」ことと、「人が生きていること」とが不可分に結びつくありようを、堪能できる一冊だ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。