書店を次世代に繋いでいくということ
2015年06月19日
「町のことも全部含めて」、確かに柴田サンは、長く「神保町ブックフェスティバル」の中心メンバーや「本の街・神保町を元気にする会」の事務局長を務め続けてきた。
その一方で、柴田サンは、次のようにも言う。
“私だって、自分さえよければいい。それが本音です。商売というのはそういうもんだと思ってますから”
“基本的には“けものみち”なんですよ。商売の世界は。いまの不況を乗りきったら、なんかいいことが起きるぞと、期待してるわけ。それはもう、屈託なく思ってるわけよ。だから、今月はこうやって、来月はこうやってって、気持ちのいいことを探している。小商人はみんな、そうじゃないかと思う。ただ、たまたま扱っているのが文化的なものなんで、出版社とか、周りにもそういう人が多い。それに合わせながらも、根っこでは小商人としてやっている”
“全国の町の書店なんてものは、存在しないんですよ。三省堂書店がある。東京堂書店がある。神保町の交差点には廣文館書店がある。私のところの岩波ブックセンターがある。それぞれがあるだけなんです”
“『これからの書店』という話はないの。『岩波ブックセンターのこれから』はある、『神保町のこれから』もありますよ”
「町の書店を守れ」と声高に叫び、「これからの書店は、こうあるべき」と大所高所から論じても、「町の書店」一般は守れないし、「これからの書店」一般を論じることもできない。存在するのは、具体的な1軒1軒の書店なのだ。
柴田サンは、岩波ブックセンターという1軒の書店のことだけを考えて、それを守り発展させるために、考え、行動し、語ってきた。
だからこそ、柴田サンの話には、普遍性があるのだ。
岩波書店の出版物が棚の半分を埋め、あとの半分も人文社会関係の専門書を中心に在庫している岩波ブックセンターは、決して「普通の書店」ではない。
岩波書店との関係、神保町という立地が、この書店の存立基盤だ。他の書店が、柴田サンのやり方を真似ても、うまくいくとは限らない。恐らくうまくはいかないだろう。
柴田サンがぼくたちに伝えようとしている「普通」は、品揃えの方法や、店の経営方針ではない。そういう意味での「普通の書店」は、どこにも存在しない。
“わたしはこの店をなんとしても守る、永続させる、だから店長の白井潤子を社長にしたのだ、とも話していた”
最終章に石橋が何気なく書き記したこの一文が、ぼくの眼前で閃光した。柴田サンのいう「普通」を解く、ひとつの重要な鍵が見えた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください