乾武俊 著 山本ひろ子、宮嶋隆輔 編
2015年07月16日
「もう、世の人の心は賢(さか)しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信をうちこんで聞く者のある筈はなかつた」というのは、折口信夫『死者の書』である。
なるほど、賢しらな連中は聞く代わりによく喋る。「騒音」によって民俗は消され、文化は「人間」を喪失した。
だが、ひとり民衆のかそけき声に耳をすまそうとする乾武俊の学問は、おのずからそれに反逆し、異なる学を打ち立てようとせずにはいない。本書は、その乾の鬼気迫る執念がかたちを成したものである。
『民俗と仮面の深層へ――乾武俊選集』(乾武俊 著 山本ひろ子、宮嶋隆輔 編 国書刊行会)
戦時中に教員となり、敗戦直後から詩人として活動。昭和34(1959)年、大阪の中学校への赴任を契機に、同和教育に関わりはじめる。
被差別地域の子どもたちと詩を作り、古老から民話や伝承の聞き取りをおこなっていた乾は、しだいに民俗伝承の世界に傾斜し、このころから仮面(民間仮面)の蒐集を開始したという。そして、これに取り憑かれた。
乾がその深層を突き止めようと食い下がる「仮面」とは何か。
たとえば「ウソフキ面」。口が突き出し、鼻は内に曲がり、頬はそげ、表情は黒くゆがんでいる。「うそふく」は口をつぼめて息を吹くことだが、同時に「嘘ふき」でもある。
古代の踏歌では、「言吹」が天皇の前に出て、賀詞を申し歌曲を奏した。この「言吹」が「嘘吹」になる。「嘘」をいうことが抵抗であり、みずからの存在証明でもあった。
あるいは能面「河津」を変形した神楽面。「河津」は病気と闘い、病気に苦しみながら死んでいった人の顔をモデルにしたといわれる。
しかし、民間において大胆な造形が施されたこの神楽面では、顎がグッと飛び出て口が大きく、眼もガラッと大きくなっている。民衆は陰惨な怨霊面を道化の面に変え、陰を陽に変え、悲しみを笑いに変えていった。乾はここに、底抜けに明るい、民衆の大きな力を見る。
語るのが為政者であり支配層であるとき、語りを奪われた民衆は身振り(芸能)によって己が物語を紡ぎだすしかない。
そしてまた、周縁に追いやられた「穢れた」者たちは、仮面で顔を隠すことによってしか、表舞台に登場することができない。民間の仮面は、その土地独自の心意を背後に持ちながら、そこには「古代」から「近代」までが重層している。
したがって仮面が担うのは、民衆の記憶、民衆のこころそのものである。
民俗と仮面の深層には何があるか。乾武俊なら、そこに民衆の声なき声があるというだろう。
民衆のかけがえのない語りを、その「語り口」をそこなわずに記録にとどめたい、その「生きざま」と「息づかい」、できれば「心臓の鼓動」まで書きとどめたいと願う乾の、不意打ちのように差し込まれる言葉は、たしかに芸能の秘密に触れえている。所収の「黒い翁」論は、傑作である。
すぐれた民俗学者が同時に詩人であることは偶然ではないだろう。柳田しかり、折口しかり。詩人のみが、近づきうる領域があるのだ。
だが、乾武俊が用いる「民衆」という言葉には、この二人にはない特別な響きがこもっている。民衆の生活と文化を探究する学を「民俗学」というならば、乾の拠って立つ場所にこそ、民俗学の深みがあるといわねばならない。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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