ナショナリズムと自衛的コミュニタリズム
2015年09月28日
8月以後、高校の友人たちと誘い合って国会前へ通った。最初は2人だったのがしだいに増えた。
毎日会社へ通っている者もおり、親の介護を抱えている者もいるから、顔ぶれは変わる。それでも日比谷公園で待ち合せると、毎回5~6人がやってきた。
もう40年を越すつきあいだから、男女を問わず、目顔で最小限のあいさつを交わしてから、霞門を出て、東京高裁と農水省の間の陰鬱な道を抜け、外務省上から国会前へ向かう。
何回目かのデモの後、やっぱり旗をつくろうということになり、AdobeのCS6を使える友人にデータを作成してもらい、高校名の入った幟旗をネットで発注した。
以後は毎回これを押し立てて、人混みをかきわけ、なるべく目立つように(!)前の方へ出た。
面白かったのは、母校の旗を見て、声をかけてくれた方が結構いたことだ。
「今年の3月まで教えていました」とか「娘が通っていました」とか「同学区の武蔵丘高校出身です」等々。
名刺をちょうだいして情報交換をした方もいる。
また2007年に卒業した後輩の女性から「わぁ、すごい!」と言われて、オジさんたちが喜色満面になったりもした。
連載「若者たちの時代」 第4章「舞い降りたバリケード(1)」次はウチだ!――高校闘争1969
多くの方が指摘しているように、今回のデモには様々な世代の参加者がいた。
60年安保組、70年安保組から大学生・高校生まで、その多様性自体がデモの楽しさになっていた。しかも半世紀余の世代差を越えて、参加者のあいだには、安定した共感が醸し出されていた。
安保法制と安倍政権という具体的なターゲットが「大同団結」をうながしたことはまちがいない。また平和主義や民主主義が――理解の差は多少あるにせよ――たんなる概念体系を越え、「共感体系」として分有され、独特な雰囲気となってデモ隊を包んでいた。
こうした「復活説」は、安保問題、強行採決、国会デモという道具立ての類似によって、戦後思想の普遍性や持続性が、今回の運動で証明されたとする論理へ通じていく。
一方、若い政治学者の佐藤信のように、「みんな60年安保闘争に引きつけすぎではないか」と反論した論者もいる(佐藤信「異見を認識し向き合え」毎日新聞、2015年9月11日)。
佐藤は「60年安保闘争のイメージに引きずられた議論は、実態を脇に置き、あの時代へのある種の郷愁に浸っているに過ぎないのではないか」と書く。
彼が言う「実態」とは、ネット空間にからめとられ、管理システムに包囲された私たちの境遇を指しているらしい。そうしたリアルは、60年代への「郷愁」では救いえないという。
さて、1960年と2015年の〈ふたつの「安保闘争」〉は似ているのか似ていないのか。
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