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[書評]『職業としての小説家』

村上春樹 著

松本裕喜 編集者

小説は「音楽を演奏している」ように書く  

 初版10万部の9割を買い取る紀伊國屋書店の大胆な商法が話題になったが、作家が自らの小説に対する考え方や作法をじつに率直に読者に語りかけた本である。

『職業としての小説家』(村上春樹 著 スイッチ・パブリッシング) 定価:本体1800円+税拡大『職業としての小説家』(村上春樹 著 スイッチ・パブリッシング) 定価:本体1800円+税
 講演スタイルの話しことばで書かれているので、講演かセミナーを起こしたものと思って読んでいたが、「あとがき」によるとすべて書いた原稿であるという。

 まず、小説という世界は、誰でも気軽に参入できるプロレス・リングのようなものと紹介される。

 処女作『風の歌を聴け』では、最初はうまく書けず、やむなくタイプライターを使って英文で書き、それを日本語に「翻訳」したという。

 外国語で文章を書くとおのずから言葉や表現は限られてくる。しかし、すくない言葉や表現でも効果的に組み合わせることができれば感情や意思を表わせるはずだ。

 そこから村上は自身の文章のリズム、自分の文体を模索していった。自分自身の声(ヴォイス)で小説を「語る」ことを目指したのである。

 この作家は、「文章を書いている」というより「音楽を演奏している」に近い感覚で小説を書いているという。

 小説を書くとき必要なのは「楽しい気持ちになれるかどうか」である。そこに楽しさや喜びが感じられなければ、楽しさを邪魔している余分な部分、不自然な要素を片端から捨てていく。「自分から何かをマイナスしていく」ことが自分の文体なり話法なりを見つけ出すコツなのだ。

 村上は、すかすかのシンプルな文章から書き始め、少しずつ自分なりの肉付けをして小説を書き進めていったと自作を語り、本質的には「長編小説作家」と自己を規定する。

 長編小説を書くときは、隅々までねじを締めるのではなく、ところどころで文章を緩ませる。そしてある程度進んだところで休みを取る。工場などで製作途中に製品を寝かせるように、作品をじっくりと寝かせる。この過程で欠点も見えてくるし、作品の奥行きのあるなしもわかってくるというのだ。

 そしてかたちがついたところで、第一読者である奥さんに読んでもらう。

 指摘を受けた箇所は書き直す。指摘に同意できない場合は、その指摘とは反対の方向で修正したりもする。読んだ人間が指摘をしてくる箇所には、何らかの問題があって小説の流れが悪くなっているとの判断である。

 書き直してよくなるという保証はないが、この作家の場合は数えきれないくらい原稿を書き直し、編集者がうんざりするほどゲラ(校正刷)に手を入れているようだ。

 小説の基本は物語を語ることで、物語を語るとは自分の意識の下部に降りていくこと=心の闇の底に下降していくことだという。

 作家はその闇の底から自分に必要なものを見つけ、意識の上部領域に戻ってきて文章に表現する。闇の力に対抗するには、心の強靭さとそれを維持するためのフィジカルな力(体力)を必要とする。

 村上の場合、小説が軌道に乗ってくると、「登場人物たちがひとりでに動き出し、ストーリーが勝手に進行し、その結果、小説家はただ目の前で進行していることをそのまま文章に書き写せばいいという、きわめて幸福な状況が現出」し、「ある意味においては、小説家は小説を創作しているのと同時に、小説によって自らをある部分、創作されている」という。

 小説を読むだけの人間は、本当にそんなことがあるのかなと思わないでもないが、物語の創作とはそんなものなのかもしれない。

 私が村上春樹の小説を読み出したのは80年代前半だった。先輩編集者から『風の歌を聴け』がすごくいいと聞き、読んでみて、ほかの小説では味わえないセンスを感じた。

 この本でも村上は自分の小説が文壇や出版界から批判的な眼で見られ続けたことを語っているが、同年代の友人に村上春樹を読んでいると話すと、「へえ~、若いねえ!」という反応がかえってきたものだった。当時は村上春樹の小説を「翻訳的な文体」「通俗的な物語」とみなし、「文学」としては一段低く見る風潮があったのは事実だ。

 これは又聞きだが、吉本隆明は「太宰治の読者は自分に直接語りかけてくれるものとして太宰の小説を読んでいたが、そういう作家はいまは一人もいない」と言っていたようだ。

 しかしこの本で村上は、「僕は、読者とのあいだに太いまっすぐなパイプを繫ぎ、それを通してじかにやりとりするシステムを、時間をかけて築き上げてきた……なによりも必要とされるのは……著者と読者の間のナチュラルな、自然発生的な『信頼の感覚』です」と書いている。

 もしかすると、かつての太宰の読者と現在の村上の読者は、とても近い位置にいるのかもしれない。

 自著の英語版の出版にあたっては、自分で翻訳者を見つけ、その翻訳を自分でチェックした上で英訳原稿をエージェントに持ち込み,出版社に売ってもらう努力をしたという。

 また、「小説家の役目はただひとつ、少しでも優れたテキスト(総体)をパブリックに提供することです。……テキストの役目は、それぞれの読者に咀嚼されることにあります。読者にはそれを好きなように捌き、咀嚼する権利があります」という。

 つまり、最終的に作品を判断するのは読者だということだ。こうした読者へのまなざしも、村上春樹を世界的作家へ押し上げていった原動力の一つなのだろうか。

 「あとがき」でも書かれているように、この本が小説家をめざす人に役立つ本かどうか(そもそもそんな本があるのかどうか)わからないが、村上春樹の文学をもっと知りたい人にはすばらしく魅力的な本だと思った。

 *ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年生まれ。40年間、三省堂で書籍を編集。主な仕事に建築・都市をテーマにした『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』や、歴史・思想ジャンルの『江戸東京学事典』『戦後史大事典』『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』など、また言葉・詩歌がテーマの『一語の辞典』『新明解故事ことわざ辞典』『三省堂名歌名句辞典』などがある。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本をじっくり読むのが、強み、読むのが遅いのが、弱点。