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[5]「千円札」は資本主義の欲望そのもの

赤坂英人 美術評論家、ライター

 赤瀬川原平さんが、夢のなかに現れてしまった。これは夢だとは思ったが、やはり焦った。

赤瀬川さんの姿が次々に映し出されたしのぶ会の会場 20152赤瀬川原平さんをしのぶ会で=2015年2月、東京都内のホテル
 彼は飄々した雰囲気で、私に向かって何かを語ってくれたのだが、声は聞こえない。ただ、表情からニュアンスが伝わってきた。こんなことを語っているようだった。

 「僕のことについて書かれているようですが、僕は何を書いてくださっても構いません。自由に思ったことをお書きになってください。ただ、前回書かれていたことについては、少しだけ気になったところがあったので、余計なお世話だとは思ったのですが、一言お伝えしようと思ったのです。

 それは例の千円札のことです。僕の千円札の作品や裁判のことに関して、『老人力』の“ソ連崩壊と趣味の関係”の章で書いた挫折ということと結び付けて書かれていましたが、そこは少し違うかなと。
 確かに、千円札の裁判は、ハイレッド・センターの高松次郎や中西夏之との会話のなかにも出てくる通り、大変でしたし、いろいろと鍛えられたのは事実です。そして裁判は、最高裁までいきましたが、結局は、僕は有罪となりました。
 それは確かに悔しいことです。しかし、そのことで僕が挫折を感じたのではないかというのは、ちょっと違うんです。あの霞が関の法廷で、僕らが日頃考えているような芸術が、簡単に通用するとは、さすがに思っていませんでした。
 ですから、裁判結果はたいへん残念なものでしたが、挫折という言葉を持ってくるのは少しオーバーかと思います。僕という人間は、それほどヤワではないんですよ」

 およそそんなことを語って、彼はふっと消えた。僕は夢から覚めてから、

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