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[書評]『東京大学「80年代地下文化論」講義』

宮沢章夫 著

今野哲男 編集者・ライター

80年代を前に向かって反復、変奏する  

 本書は、2005年の秋に、著者が東京大学の非常勤講師として行った「表象文化論特殊研究演習」という講義を土台に、その10年後の2015年に東京の「ゲンロンカフェ」で行われた同じテーマに関する話を「補講」として加え、「決定版」と銘打って出されたもの。

『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』(宮沢章夫 著 河出書房新社) 定価:本体2500円+税『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』(宮沢章夫 著 河出書房新社) 定価:本体2500円+税
 学生たちとのやり取りを含んで、全体が話し口調を活かしてまとめられており、それがかえって、80年代に対するさまざまな入射角を呼び込んだ印象がある。

 本書のとりあえずの枠組みは、「80年代はスカだった」という、90年代初頭の『別冊宝島』に載ったキャッチコピーに代表される、バブル経済に踊らされた80年代を否定するにはそれ自体があまりにとりとめのない、単純化された多くの暴力的なもの言いに対する抵抗感を軸に成り立っている。

 大塚英志の『「おたく」の精神史――一九八〇年代論』を反面教師的な鏡として参照しつつ、二元論的な単純化の陥穽を慎重に避けながら、たとえば「おたく」と「新人類」の比較対照とその関係とか、「ピテカントロプス・エレクトス」という原宿の明治通り沿いのビルの地下にあった日本ではじめてのクラブとか、さらには「かっこいい」とはなんだったのか、といった話題を多彩に散りばめながら話が進んでいく。

 この時空間の両面にわたって大がかりな論考を駆動した内的な推進力は何か。

 それは、優れて身体的な時代だった60~70年代に自己を形成し大人になったと思しい著者が、一転して記号論的な差異のゲームが急速に時代の表層を支配した非・身体的な80年代に、その先端的な演出家の一人として活動を始めたときに直面した矛盾ではないだろうか。

 彼は、いとうせいこうや竹中直人などが参加していた「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」というユニットによって、新時代に対応する表現者としての活動を開始しながら、同時に、反時代的な70年代の記憶と視線とを合わせ持っていた。

 そして、それをあり得べき矛盾と見做す真摯な倫理感に類したものが、80年代を現代に連続させて見通すという試みに、彼を駆り立て続けているのだろう。

 その、今につなげて80年代を考えようという心性の一つの典型は、彼が本書の「補講」で、80年代を90年代に接続する巫女のような役割を担った表現者として、あらためて賞揚してみせた漫画家の岡崎京子が、『東京ガールズブラボー』という作品に書きとめた、80年代をある側面で典型的に描き出した、次のセリフを引用していることからもわかると思う。

そんであたしは高校卒業するまでに
6回家出して6回ともつれもどされた 
 
その間にYMOは散開しディズニーランドは千葉にできて
ローリーアンダーソンがやってきて
松田聖子がケッコンした
ビックリハウスが休刊して「アキラ」が始まった 

何となく「どんどん終わってくな」という感じがした

浪人して美大に入って東京で一人ぐらし始めた年に
チェルノブイリとスペースシャトルの事故が起こった

しかしその頃ぶっとい眉したあたしには「どうしたら
上手くたてロールが出来るか?」とかのほうが大問題では
あったのだった

そしてそれから
みんな、口をそろえて
「80年代は何も無かった」ってゆう

何も起こらなかった時代
でもあたしには……

 ここまで引用して著者は「これが最後の言葉です」と書き、さらに「僕は、これをすっかり忘れていた。先日……あらためて『東京ガールズブラボー』を読み返してみて、この言葉はかなり大きな意味があると気付いた」とも続けている。

 繰り返すけれど、これは「講義」の10年後の「補講」でなされた述懐である。そしてさらに「主人公が浪人して美大に入り、一人暮らしをはじめたのは、ここで語られるように、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した年です」と確認するように言った上で、「つまり、1986年、この年のことを、やっぱり考えなければならない」と結ぶのだ。

 ちなみに、ここからさらに30年が経過した今年度のノーベル文学賞に、チェルノブイリの語られなかった過去を、被害者たちへのインタビューの形で明らかにしたベラルーシの女性作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞したことを想起してもいいのかもしれない。

 最後に、10年前の原講義からもう一つ引用しておく。「とりあえずのまとめ――80年代と現在の接続」と題した最終講義からの述懐である。

 ……ここで考えるべきは、80年代に入ったとき、ピテカントロプス・エレクトスに代表される人たちが持っていた<批評性>とはいったいなんだったか、そしてそれが現在にどういう道筋を作ってくれているかということです。……左翼的なものとはまた異なる意味で、……(それは)やっぱり、「資本に対するゆるやかな対抗」と言うことはできると思うんですよ。これが<批評性>というものを生み出していくだろう。

 そして、まるでこの言葉に呼応するように、ピテカントロプス・エレクトスの代表だった桑原茂一は、この講義のあったころに、アップルのiTunes Music Storeを見、自身のブログに以下の主旨の書きつけをしたという。「売れているものばかりが出てきて、多くの音楽が忘れられているんじゃないか。(経済的な効率や合理性にとらわれた)iTunes Music Storeを運営する人たちは、本当に音楽を愛しているんだろうか」、と。

 「80年代はスカだった」といったイエスかノーかの暴力的な言辞に抗いながら、その虚ろな姿勢を超えて現代につなげる道筋は、このように前を向いて繰り返される、ただの「なぞり」などでは断じてない、反復と変奏によってこそ、書きとめられるのではないだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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