2016年01月05日
小津安二郎は、原節子を念頭において、野田高梧と脚本を共同執筆したときから、拙著『原節子、号泣す』に詳しく記述したように、女優原節子の資質や力量、俳優としての器の大きさ、得手不得手など、測り兼ねていたところがあり、それが結果として、『晩春』のストーリーの展開やクライマックスの設定、描写の仕方にいくつかの矛盾、あるいは生煮えなところを残すことになってしまった。
そして何よりも、自分の要求に応えて余りある自在な演技力を遺憾なく発揮してくれたことで、小津は、原が『河内山宗俊』に出演した頃とは比較にならぬほど成熟した女優に成長していたことに驚嘆していた。
とりわけ、父親の再婚の意志が固いことを知って、原が、2階の自室で、シナリオの上では「声を忍ばせて泣き入る」と書かれていたシーンで、小津の予測をはるかに上回る激しさで号泣したこと、あるいは原の結婚が決まって、最後の親子旅行ということで、京都を訪れた最初の夜、旅館の一室に蒲団を並べ、父と娘が寝るシーンで、父親が先に寝てしまったことを確認したあと、原が、なんとも言えない不思議な眼差しの動きを通して、「女」の一番奥深い所から吹き出てくる情動を一瞬開示してみせた演技などに、小津は心底驚かされていた。
『河内山宗俊』で、文楽人形のように掌と指を平たく開いたまま顔に当てて泣いた15歳の少女女優、そしてフィナーレに近く、弟広太郎を救うため、自ら身を売る決意を固めることで、聖なる「妹」から聖なる「姉」へと変身し、大きく髷を結った横顔をうつむきにして、人差し指で涙を拭った原節子は、13年後の今、自分の前で、存在を揺るがせるようにして号泣し、「女」の深淵から吹き上げてくる情動を、自分の予想、あるいは期待をはるかに超えて、激越に表出し得る女優に成長していた。
そのとき、カメラの横で、原の演技をじっと見つめながら、小津は、自分のなかに山中貞雄が蘇ってくるのを間違いなく感じ取っていた。
そして、ひそかに一つのことを決意した。
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