嵐山光三郎 著
2016年03月31日
本書の冒頭に著者がむかし取材先で撮った一枚の集合写真が載っている。若い頃の著者ときだみのる、写真家の柳沢信と、半ズボンを履いてまるで男の子のように見える少女。
写真中央、高さ2メートルほどの石柱の文字は判別し難いが、おそらく〈是より高遠藩〉と刻まれているはずだ。
そこは日本でいちばん〈気〉が満ちているパワースポット〈ゼロ磁場〉として有名な分杭峠という場所で、ぼくがいま住んでいる伊那市美篶(みすず)というところから山道を車で小一時間ほど走れば行ける。
ここに移住した際、かつて編集者として担当した嵐山さんに転居通知をお送りしたところ、間もなく返信をいただいた。
いま「本の窓」にきだみのるのことを連載しているのだが、美篶というのは彼と実に縁深い土地だ、とあった。
恥ずかしながら、きだみのるについては開高健の文章を通じて知っているだけの半可通だったが、それをきっかけに数々の著作に触れて驚いた。まさに漂流怪人。その破天荒ぶりは凄まじく、「行動する作家」を志した開高健が私淑するのも頷けた。
本書は嵐山さんが雑誌「太陽」の編集者時代にきだみのるの連載を担当し、全国を旅して歩いた時期を中心に、等身大のきだみのる像を描出したもので、やはり嵐山さんにとって重要な作家、深沢七郎を描いた名作『桃仙人』と双璧をなす嵐山流評伝文学の傑作である。
慶応大学を中退してアテネフランセへ移り、フランス語とギリシア語を学んだ後、林達夫と共にファーブルの『昆虫記』を訳したきだみのるはフランス文学の泰斗でもあり、戦時下の昭和14年、ノモンハン事件が起こった年にはパリ大学を中退してモロッコへ旅立ち、帰国後の18年、「日本人が書いた外国旅行記の最優秀なものの一冊」(by 開高健)である『モロッコ紀行』を著した。
そうして戦後、真の日本を知るには部落に入り、そこで生活をして人間関係に深く入り込むのがいちばん、として八王子の奥にある恩方村に暮らし、『気違い部落周游紀行』(富山房)を書いた。
その強靭な知性と圧倒的な行動力は、並外れた食い意地であったり、無類の女好きであったり、一箇所に留まれない放浪癖であったりと、誠に人間臭い性向に裏打ちされていたのだということが、本書を読むと肉感的に納得させられる。まるで人間の〈ゼロ磁場〉のようで、コンパスを置くと針がくるくる回る。
時空をあちこち跳び、話題を散らせながら、総体としてある存在を鷲掴みにする〈嵐山節〉はもちろん本書でも健在だが、この本の真の主人公は、実は「ミミくん」ではないかと末尾に近づくにつれて感じられて、それが胸に迫る。
ミミくん。冒頭の写真で半ズボン姿の、まるで男の子のように見える少女。
きだみのるはミミくんを「わが同志」と呼び、ミミくんはきだみのるを「おじちゃん」と呼ぶ。破天荒な生活の同行者だが、本当のところはきだみのるの実子である。
嵐山さんは本書の至る所で愛すべきミミくんを活写しているが、それが次第に憐憫の情に染まり、最後は怒りに達する。
というのも、きだみのるが晩年に近く、学校に一度として通ったことのないミミくんの将来を案じ、寄宿先の岩手で山奥にある分校の教師夫婦に養女として託すことにしたのだが、この教師が後の三好京三であり、ミミくんをモデルに描いて直木賞をとったのが「子育てごっこ」で、きだみのるの没後、三好京三とミミくんの不幸な出会いは前代未聞のスキャンダルを引き起す。
それは直木賞作家という権威と名声にあこがれて道を誤ったスノッブと、真の自由と漂泊のうちに育った野生児との葛藤で、事の真偽は本書を読んでそれぞれ判断してもらうしかないが、嵐山さんは明らかに前者に対して怒っている。
そしてその怒りは、近年に至ってますます奇形化した文壇ジャーナリズムに深く向けられているように思うのだ。
最後にひとつ。本書には望外なおまけがついている。
それはきだみのるが数々の「ノミコウ」(宴会)で披露した料理のレシピを著者直筆のイラストで再現したもので、それに倣って「ミョウガの玉子とじ」を作ってみて新鮮な味覚に舌を巻いた。できれば全部の料理を試してみたい。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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