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[書評]『村に火をつけ、白痴になれ』

栗原康 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

生きる力を文体そのもので爆発させる 

 本書を読みながら思いだしたのは、「食べるために生きるのではなく、生きるために食べよ」というソクラテスの言葉だった。

 「食べる」こと(=生活)を目的化して「生きのびる」のではなく、「生きるために食べる」ことを本気で考え実践すれば、新自由主義に席捲されたかのような現代社会のありようも違って見えないか、との強い思いが、著者の根っこにあるからだ。

『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(栗原康 著 岩波書店) 定価:本体1800円+税拡大『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(栗原康 著 岩波書店) 定価:本体1800円+税
 高校3年で出会った大杉栄の文章をきっかけに、こうした立脚点を得たという気鋭のアナキズム研究者である著者(1979年生まれ)は、過去の作品(『大杉栄伝――永遠のアナキズム』はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』)でも、一貫してその思いを伝えてきた。

 タイトルを眺めるだけでも、その姿勢の一端は感じられるはずだ。

 本書では、大正時代のアナキストで作家、日本の女性解放運動の黎明期を支えた伊藤野枝の生涯をクローズアップする。

 よく知られるように、伊藤は大杉栄の愛人・パートナーであり、関東大震災後のいわゆる甘粕事件で、大杉、甥の橘宗一とともに惨殺された。

 貧乏に徹しつつわがままに生きた少女時代、実家が決めた婚家からの夜逃げのような脱出劇、辻潤との結婚と別れ、平塚らいてうから引き継いだ『青踏』の仕事、三角関係の結果大杉が神近市子に刺される葉山日蔭茶屋事件など、伊藤の人生は破天荒なエピソードに事欠かない。

 実際、将来は名を上げるか海賊の女王になるかだと考えていた女学校時代や、後年、警察に捕まった大杉を解放するよう内務大臣・後藤新平に迫った手紙にある「あなたの体中の血を逆行さすくらいのことはできます」「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」という言葉、哲学者バートランド・ラッセルとその恋人ドラに見せた死への覚悟の様子などから、尋常ならざる腹の据わり方・怪物ぶりが伝わり、私自身、改めてしびれた。

 とはいえ、著者が強調するのは伊藤や大杉の豪胆さ・無秩序さというより、やはり彼らの「生きよう」とする力、暴れる力である。その力を著者は「生の拡充」と表現する。

 「生の拡充」は、誰もが経験できるものだ。たとえば1918(大正7)年、大阪の米騒動で見せた主婦たちの行動のなかにそれはある。

 それまでは「主婦の鏡として、つつましい消費者として行動し、家をまもれ」といわれてきた大多数が、「妻としての、主婦としての、消費者としての自分をかなぐり捨てて、あれもできる、これもできる、なんでもできる、わたしはすごいと、みずからの生きる力を爆発させ」ること、そして「自分の力のたかまりを自分でかみしめる」ことこそが、「生の拡充」である。

 この辺りは、最近話題となった「保育園落ちた日本死ね」とのブログへの書き込みを発端に広まった女性たちの運動とのつながりを考えたいところだ。21世紀の読者は伊藤の人生から、この「生の拡充」をこそ掴み取ったほうがいい、と著者はいうのだ。

 伊藤野枝の生涯は、著者の過去3作でも熱を込めて述べられており、既視感を覚える読者はいるかもしれない。しかし特筆すべきは、彼女の生き方をとおして焦点化される「生の拡充」を、著者が執筆行為のなかで実践してもいる、ということだ。 

 伊藤を語り始めることで流れが生まれる文章に、いつのまにかリズム・抑揚がつき、生き生きとした「うた」になっていく。「うた」になる過程が文章自体の「生の拡充」運動となり、伊藤、大杉の暴れる力がこちらに伝染する。

 ポップでありつつ血の通う栗原節を、読者は知らぬまに味わうことになり、まるで一遍聖人の踊り念仏が群衆を巻き込んで一体化するように、著者の「生の拡充」運動に読み手も参加することになるのだ。伊藤野枝についてはよく知っているよ、という読者も、ぜひこの文体に身を委ねる体験を本書で試してほしい。

 ところで、ソクラテスも伊藤も大杉も、「生きるために食べる」を本気で考え実践した人は、国家によって命を奪われる。国家とは、何でしょうか。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。