加害者としての日本の帝国主義が日本社会に共有される認識を
2016年04月20日
夏目漱石がロンドン留学を命じられたのは1900年(明治33年)のことだ。翌年1月にロンドンに到着早々の漱石はビクトリア女王の葬列をロンドンの群衆に混じって見送っている。63年と7カ月の長きに渡ってイギリスに君臨したこの女王の像は現在でもバッキンガム宮殿の入り口で大勢の観光客を集めている。ビクトリア女王在位時代に大英帝国の領土は10倍に増えたと言う。世界各地を植民地もしくは半植民地化した大英帝国の繁栄を象徴する女王の葬列を、ロンドン到着早々の漱石は見送ったことになる。日本が大韓帝国を併合し、朝鮮半島を植民地としたのは、ビクトリア女王の死から9年後の1910年のことだ。19世紀の帝国主義の時代が終わりを告げる第1次世界大戦勃発の4年前になる。ビクトリア女王の葬列に並んだ欧州の王侯たちが植民地を巻き込んで争った最初の戦争だ。日本は帝国主義の時代が終わろうとする頃に植民地経営に乗り出したわけだ。
被害を意識的に語りついできた戦争は、日本社会に共通の理解を生み出してきたが、戦争に至る帝国主義、植民地主義について言えば、明治の世の輝かしい日本のイメージが語られることのほうが多い。大日本帝国の輝かしき頃として語られる植民地主義、帝国主義は「遅れてきた帝国主義者」の側面をまったくそぎ落としてしまう。日中戦争から太平洋戦争に至る戦争が植民地主義の破たんであったことからも目をそらせてしまう。帝国主義、植民地主義に関する日本国内の一般的な世論形成はまだ十分には成熟していない。
「帝国の慰安婦」の著者の朴裕河氏が刑事で起訴された名誉毀損事件の公判が、この1月から始まった。朴裕河氏はこの裁判で、「陪審員」がつく「国民参与裁判」を申請した。韓国の司法では一般の国民が「陪審員」として参加する裁判形式を選ぶことができる。
とりわけ、田村泰次郎の小説「春婦伝」から日本軍兵士と慰安所の女性の間に「同志的関係」があったとする記述は大きな非難の的となり、慰安婦被害者の名誉を毀損するものだとされている。兵士と慰安婦の間に「同志的関係」があるという主張が、被害と加害の関係を無化してしまうものであるかのように受け止められている。虚構の作品をもって慰安婦問題の解決のヒントがあるとした点にも非難は集中している。
しかし、ここで田村泰次郎の作品をもとに語られていることは、社会制度の裏側で、個人がひっそりと自分自身の精神を救うための情操が文学的な抒情を生み出している事象である。帝国主義国家の支配の下での被害と加害の関係を崩すようなものではない。死刑囚と看守の間にも人間的な友愛が目覚めることがある。それと同じことが戦場で起きていたが虚構の作品をもとに論じられているのだ。人間の感情には、自分自身の救うための心の働きが隠されている。この心の働きは根源的なものだ。虚構をもってしか描きえない心の働きである。文学作品は、
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