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[書評]『メジャーリーグスタジアム巡礼』

AKI猪瀬 著

井上威朗 編集者

球場には「ガッカリ」を操作する魔法がある! 

 スタジアムが見えてくる。向こうから「ドワー」みたいな喚声が聞こえてくると、余裕を見せてテクテク歩いているはずが、どんどんと競歩のような早足になる。でも実は周りを歩いている人も同じだったりして、競争するようにゲートになだれこむ。

 もう我慢できない感じで階段をのぼっていくと、上のほうににちらりと見えていたフィールドがだんだん大きくなってくる。カクテル光線が目に入る。やがて、ついに中に入ったときのあの開放感!

――そしてスコアボードを見てしまったときの、このガッカリ感。ああ、またわがチームの先発投手は炎上していたのか。もう帰ろうかな……。

 球春到来ということで、今年もこのようなガッカリ体験を重ねる季節がやってきました。この悲しみから脱する策は、「試合開始に間に合うよう早く退社できるような優秀な人間になる」「そもそも先発が炎上しないような強豪球団のファンになる」などいろいろあるのでしょうが、「試合展開だけではなく、球場そのものを楽しめるようになる」のも良策かもしれません。

『メジャーリーグスタジアム巡礼』(AKI猪瀬 著 エクスナレッジ) 定価:本体1800円+税『メジャーリーグスタジアム巡礼』(AKI猪瀬 著 エクスナレッジ) 定価:本体1800円+税
 ということで本書、メジャーリーグ球団の本拠地、全30球場をオールカラーで楽しませるべく工夫をこらした、超濃厚企画です。

 各球場に充てられているのは平均6ページ。前半3ページは美しい写真をみせて圧倒。続いて球場の歴史、人気選手のプロフィール、売り物になっている設備、名物フードやショップ、さらにはアクセスや周辺の治安まで、コンパクトに解説しています。

 著者自らが取材したその球場のベストゲームを紹介する1ページコラムを読ませたあとは、細かいデータやレア施設の写真まで押さえて、だいたい6ページの1クールが終了。

 平均するとこの1クールにコラム3本と写真6点、さらに解説図表や地図も必ず入るという大サービスぶり。観光ガイドとしてもメジャー球団入門としても使える作りになっています。

 写真はすべてフォトエージェンシーから購入したもののようです。巻末にクレジットをリスト化しているので、これは大変な諸々があったろうなあ、とつい作り手の苦労まで思いやれる仕組みであります。

 かくも読みごたえある本を上梓した著者のAKI猪瀬氏、メジャーリーグの中継を見ている人にはおなじみの、あのメジャーのことなら全データを知ってそうな感じの解説の人です。

 この方の解説、個々の選手を過剰に批判したりヒイキしたりせず、いつも公平に扱ってデータを披露するのが良い感じなのです。たぶん、メジャーで頑張る選手たちがみんな好きで、悪口ではなくて良いところを紹介したくて解説してるんだろうなあ、というのが伝わるのですね。

 日本の球場でひどいプレーをした選手に罵声を浴びせたくなってしまう私などは、けだしこの姿勢を真摯に学び取らなければいけません。

 本書にも、そんな著者の「メジャー愛」が存分に溢れています。どの球場紹介にも、そして名勝負解説にも、悪口はほとんど出てこないのです。

 だからといってキレイごとを並べているのではなく、残念なエピソードもいろいろと紹介されてます。

 たとえばリグレー・フィールドでリーグ制覇目前のカブスが、ファールフライの捕球をスタンドのファンに邪魔されたことからリズムを崩し敗れ去っていった「バートマンの愚行」事件。

 あるいはコメリカ・パークでタイガースのガララーガ投手が完全試合を逃した「世紀の大誤審」事件。

 こうした球史に残る、いわば「超絶ガッカリ事件」も紹介しつつ、著者はちゃんとフォローを入れています。ファールフライを奪おうとしたバートマンは実はカブスの大ファンであると教えてくれたり、大誤審を犯した審判が涙の謝罪をおこない一夜でバッシングが消えたという後日談を披露してくれたりします。

 結局、野球を楽しむということは「ガッカリも受けいれる」ということも含まれているのかもしれません。私自身、かつて贔屓球団からヒドいことを言って出ていった某選手が、なぜか現在復帰して主軸として活躍し、あまつさえ記録を達成する瞬間を、球場でノリノリで応援してしまっています。

 なんでこんなことになったのか。単に同じ応援歌がまた歌えて嬉しかったとか、昔の経緯を本当に忘れちゃったとか、あまり賢くない理由のような気がするのですが、その選手の頑張りに「かつてのガッカリを受けいれる」ことを教わったのだ、とかいえばもっともらしくなるような気がしています。

 ということで本書、野球を観ていて深いガッカリを味わっても、気分転換に開くのに最適の一書です。

 もちろん、野球に限らず日常生活でガッカリを抱えている人も同じです。

 野球場という存在が持っているガッカリ軽減魔法のようなものを詰め込んだ本書、「なんだよ、もう!」と文句を口にしたくなる前に開いてみることをおすすめします。

 そうすればメジャーのスタジアムほど格好良くないですが、日本の球場にも行ってみたくなると思いますよ。そして負け試合を観るというガッカリ体験を味わって……あれ、一周して元に戻ってしまったではないか。

 私自身が本書の著者のように純粋に野球を楽しむには、もっと修行が必要なのかもしれません。ということで明日も球場へ向かうマゾヒスト的な生活が続く気がします。ではまた。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。