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[書評]『幸せになる勇気』

岸見一郎 古賀史健 著

小木田順子 編集者・幻冬舎

自己啓発書という「お守り」 

 自己啓発書。「人間の能力向上や成功のための手段を説く書籍のこと」とウィキペディアにはある。

 20代だった80年代後半から90年代前半にかけて、私の周囲には「若者が自己啓発書を読むのはダサい」という空気があった。「自己啓発」という語も、今なら末尾に「(笑)」や「w」をつけるような、ちょっと揶揄的な使われ方をしていた。

 だから、2013年末に、本書の前作『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)が出たときは、「自己啓発」の語がサブタイトルとして謳われていることに、正直、驚いた。

 「自己啓発」は、もはや、読んでいることを人に内緒にするようなカッコ悪いものでなく、堂々と学ぶべきものなんだと思い、時代の変化が感慨深くさえあった。

 本書は日本だけでなく韓国でも100万部を超えたベストセラー『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』の続編である。

『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』(岸見一郎 古賀史健 著 ダイヤモンド社) 定価:本体1500円+税『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(岸見一郎 古賀史健 著 ダイヤモンド社) 定価:本体1500円+税
 念のため記しておくと、『嫌われる~』は、20世紀前半に活躍した心理学者アドラーが創始した「個人心理学」の理論を、人生に悩める青年と、古都に隠棲する哲人との対話形式で紹介する本だ。

 悩める青年はライターの古賀史健氏、哲人は京都に住む哲学者・岸見一郎氏をそれぞれモデルにしていると思われるが、本書は著者二人の対談ではない。何年にもわたって岸見氏のもとに通った古賀氏が、そこで学んだ教えを対話形式で書き下ろした「フィクション」、物語である。

 『嫌われる~』は、本としてとてもよくできている。

 しなり加減のよい造本や、見開き構成を上手に生かした挿画、カバーや目次にあしらわれた文字のレイアウトなど、細部に至るまで「本を読む気持ちよさ」を増す工夫が凝らされている。

 悩める青年のキャラクター設定もよい。内向的で友達は少なさそう。当然、彼女もいない。冷笑的で、ときに激高して哲人に食ってかかる。

 その言葉づかいは、大仰で芝居じみていて、逆に微笑ましいほどだが、哲人の言うことを理解する能力は素晴らしく、とても鋭いツッコミをする。

 アドラー心理学の論理展開はけっこう独特で、「劣等感」「勇気づけ」「対人関係」など、ごく一般的な言葉づかいをしている分、わかりにくいところがある。一般の人が抱く、なかなか表現しにくい違和感や反発を、青年が的確に言語化して哲人につきつけることで、読者はアドラー心理学への理解を深めることができる。

 岸見氏は「わたしはアドラーにとってのプラトンとなりたい」と言い、古賀氏が「ぼくは岸見先生のプラトンになります」と言ったことが、本書のスタートになったと、『嫌われる~』の「あとがき」にある。その「対話篇」のねらいは、本書において、見事に成功している。

 続編である本作『幸せになる~』も、前作のよいところをすべて踏襲している。

 前作で、人生への希望に満ちて哲人の部屋を後にした青年が、3年後、「アドラーの思想なんて、現実社会で何の役にも立たない、机上の空論に過ぎない!」と息巻き、再び哲人の部屋を訪れるという、期待どおりの展開。

 「ええい、腹立たしい!……右から左に穴だらけの虚言を並べ立てて、それで煙に巻いたつもりか!!」「到底呑めた話じゃない。まるで喉の奥にへばりつく麦芽シロップだ。人間への理解が甘すぎます」等々、青年が哲人に食ってかかるセリフも、ますます冴えてパワーアップし、微笑ましい。

 ……と書いてきて、「肝心の中身はどうなのだ? あなたは本の内容には感銘を受けなかったのか?」と、今度は私がツッコミを入れられそうだ。

 そう。私は実は、『嫌われる~』の対話形式というスタイルや造本その他、本まわりのことに感動したほどには、中身に感銘を受けなかった。「おもしろくないことはないけど、メッセージとしては、どっかで聞いたことがあるかな」という程度で、自分はあまりにセンサーが鈍いんじゃないかと、不安に思ったほどだ。

 本作『幸せになる~』もそんな調子で読み進めたのだが、ヤラレタ。

 「人間にとっての愛は、運命によって定められたものでもなければ、自然発生的なものでもない。われわれは愛に『落ちる』のではない」「意思の力によって、なにもないところから築き上げるものだからこそ、愛のタスクは困難なのです」「相手があなたにどう応えるか。これは他者の課題であって、あなたにコントロールできるものではありません。あなたにできることは、課題を分離し、ただ自分から先に愛すること、それだけです」

 最後の第五部「愛する人生を選ぶ」に出てくる哲人の言葉が突然胸にしみいり、あわてて、「アドラーの言う『愛』って、『人生のタスク』って、『課題の分離』ってなんだっけ?」と、本を最初から読み直し、さらには前作も再読、それもかなり精読してしまったのだ。

 理由は単純。ちょうど私が、とある人間関係のトラブルを抱え、消耗していたからだ。アドラーは「すべての悩みは『対人関係の悩み』である」と言う。

 最初に読んだときは、「ふうん、そんなもん?」ぐらいにしか思わなかった、このアドラー心理学の根底に流れる概念が、弱って目にしたときには、切実にして深遠なメッセージに転じ、それを理解しようとするプロセスで、私はたしかに救われた。

 どんなにシニカルですれっからしを気取る人も、人生のままならなさに直面し、「お守りの言葉」がほしくなるときがある。そして、「自己啓発書」と呼ばれる本は、しばしばそういうときに、すぐれた即効性を発揮してくれるのだと思う。

 そして、あまたある「自己啓発書」のなかでも、この『勇気』2部作が効く適応症状はかなり広く、奥行きも深いと思う。「自己啓発(笑)」「自己啓発w」と言いたい人にも、「本屋さんの店頭で山積みになっているような本は手にとらない」という人にも、「転ばぬ先の杖」としておすすめです。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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