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[書評]『少年の名はジルベール』

竹宮惠子 著

野上 暁 評論家・児童文学者

花の24年組が語る、少女マンガ革命の日々  

 「ジルベール」と聞いてピンとくる人は、きっと手に取りたくなる1冊だ。

『少年の名はジルベール』(竹宮恵子 著 小学館) 定価:本体1400円+税『少年の名はジルベール』(竹宮惠子 著 小学館) 定価:本体1400円+税
 筆者がジルベールに出会ったのは30代の初めごろだったが、その衝撃は忘れない。

 同じフロアにあった編集部の雑誌で連載が始まり、「これすげーよ」と同僚に言われて読んだのだが、こんなことが少女マンガに可能なのかとびっくりした。それが、『風と木の詩』だった。

 作者の竹宮惠子は、萩尾望都、山岸涼子、樹村みのり、ささやななえこらとともに、後に「花の24年組」とよばれ、それまでの少女マンガのテーマや技法に大変革をもたらした作家たちの中心的な一人である。

 その象徴的な作品「風と木の詩」が、どのようにして誕生したのか。

 この本は、著者自身が語る創作秘話だが、70年代中頃に起こった「少女マンガ革命」の貴重な証言でもある。そこには、作家と編集者の想像を絶するドラマがあった。

 竹宮は中学2年生のときにマンガ家を目指し、高校時代に幾つかの漫画賞に入選して18歳で作家デビューしていた。1968年に徳島大学に入学した竹宮は、ちょうど学園紛争真っただ中だったことから、1年間マンガ家を休業し、持ち前の好奇心からその趨勢を観察することにする。

 1年後、休業明けを待っていたかのように、小学館のY氏から「少女コミック」への連載依頼が来る。同誌は隔週刊から週刊に向かう途中で、新人作家を求めていたのだ。

 徳島にいながらマンガ執筆を再開するが、彼女は小学館のほか講談社と集英社の雑誌からの原稿も引き受けていて、どれも締め切りに遅れている。

 業を煮やしたY氏からの呼び出しで、神保町の缶詰旅館で3社の編集者に詰め寄られる。そして、編集者たちが相談した結果、彼女の面倒は小学館のY氏が責任を持つことになり、とりあえず小学館が用意した別の缶詰旅館で執筆にとりかかる。

 ところが思いのほか旅館での滞在が長くなり、経費節約のためか新婚旅行で家を留守にするY氏の新居で執筆を続けたというから、当時のマンガ編集者には公も私もなかった。

 その後、講談社の別館の缶詰室に移って「なかよし」連載の最終話に取り掛かる。そこで担当編集者に紹介されて、萩尾望都と初めて会う。

 そしてその日から、萩尾に原稿を手伝ってもらいながら同い年の2人は話に夢中になる。

 萩尾は、大牟田から上京し、彼女のファンでペンフレンドだった増山法恵の家に泊めてもらっているという。萩尾の紹介で増山に出会ったことが、竹宮の運命の転換点となるとともに、少女マンガの歴史を変えることにもなったのだ。

 彼女の紹介で竹宮と萩尾が一緒に住むことになり、すぐ前の家から増山が通ってくる。そこが後に「大泉サロン」と呼ばれ、花の24年組の物語が紡がれていくことになる。

 竹宮と増山は、稲垣足穂の『少年愛の美学』で意気投合したり、ウィーン少年合唱団に夢中になったりするなど、「少年愛」という言葉に惹かれていた。2人の会話から、『風と木の詩』のジルベールという少年のイメージがしだいに肉付けされていくのだが、それが作品化するまでは様々な紆余曲折がある。

 3人集まれば、旧態依然とした編集部の体質や編集者へ不満や愚痴のこぼし合いになる。

 自分より後からデビューした萩尾を、竹宮がY氏に紹介して講談社から小学館に舞台を移す。萩尾は「別冊少女コミック」で快調に傑作を発表し続けるが、竹宮の方はもう一つ軌道に乗らない。

 そんな竹宮を、Y氏は「週刊少女コミック」の看板作家で名古屋に住む上原きみこのアシスタントに送り出す。竹宮は自分を引っ張ってきたくれたY氏とも次第に険悪になる。萩尾への嫉妬心も芽生えてくる。

 『風と木の詩』の構想はだんだん骨格が出来てきて、編集者に提案するが、少年愛をテーマにした作品など、全く受け入れてもらえない。理解者は増山だけだ。

 スランプが続く中で、竹宮は大泉サロン有志による45日間のヨーロッパ旅行を企画する。そこに、萩尾、増山、山岸涼子が参加する。それぞれ連載スケジュールを調整しての決断である。竹宮にとっては『風と木の詩』の資料集めの絶好のチャンスとなった。

 萩尾は『ポーの一族』シリーズが続々と刊行され注目を浴びる。一方竹宮は、ライフワークと思う作品に取り掛かれない。締め切りが守れず体調も崩し、体重も42キロにまで落ちた。

 大泉サロンを解散し、竹宮は親元を離れた増山と一緒に住むことにし、増山がマネージャー役をする。しかし増山にとってマネージャーは不満だ。作品の内容にアドバイスし、ストーリーも提供するのだからプロデューサーといって欲しいのだ。

 竹宮はY氏から代わった新担当者のM氏に、『風と木の詩』のネームを見せる。M氏は、最初から否定するのではなく、どうしても描きたいのなら、次回の連載の読者アンケートでトップを取ったら必ず実現させると力強く約束する。

 巻頭カラー27ページという、特別扱いで新連載が始まったのが『ファラオの墓』だった。自信満々の出来でも、なかなか上位にはランクされない。増山のアドバイスや、担当のM氏の励ましのなか、終盤に来てやっと2位になったことがあるもののトップは取れなかった。しかし、次回作として念願の『風と木の詩』の連載が決定する。

 少女マンガの世界は、少年マンガと違って、その内幕はあまり語られてこなかった。それだけに、マンガ家同士や担当編集者との様々な関わり合いが、鮮やかに表現されていて、実に面白く読めた。数年前に亡くなった個性的なY氏の罵声や励ましの言葉、温厚なM氏の語り口までリアルによみがえってくるようだ。

 京都精華大で後進にマンガを教え、現在は学長を務める著者の若き日の艱難辛苦と、それを乗り越えたマンガ革命の足跡が胸を打つ。『風と木の詩』はもちろん、『ファラオの墓』も久々に読み直したくなった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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