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ヘイト解消法成立で、自治体に対応策作る法的根拠

立法・司法・行政の連携による運用で法に磨きをかけたい

中沢けい 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

 衆議院本会議でヘイトスピーチ解消法案が可決された。「法施行後の実態を勘案して、必要に応じて検討を加える」として法の見直しの可能性に触れた付則付きであり、「国と自治体は法律の趣旨、憲法、人種差別撤廃条約の精神に鑑み適切に対処する」として法の精神の尊重を求める付帯決議付きというのは異例のかたちだ。さらに参議院法務委員会ではステートメントが出されている。

 異例と言えば、与党法案提出前に川崎の桜本へ国会議員が現地視察に出向いたのも異例であり、衆議院本会議で法案可決後に自民党の西田昌司、公明党の矢倉克夫、民進党の有田芳生、共産党の仁平聡平の参議院法務委員会のメンバーが共同で記者会見を開いたのも異例のことだ。

中沢原稿につく写真拡大ヘイトスピーチのデモ会場で、デモを阻止しようとプラカードなどを掲げて座り込む人たち=6月5日、川崎市中原区
 1995年の人種差別撤廃条約加入から21年目になる。東京の新大久保や大阪の鶴橋などで毎週のように行われていたヘイトスピーチデモに対して抗議する市民が登場し注目を集めたのは2013年2月のことで、ここから数えればおよそ3年だ。これを早いとみるか、それともようやく行政による対応の端緒が開かれたとみるかは、ヘイトスピーチとの関わりによって、その感慨も異なるだろう。

ヘイトスピーチ蔓延は2000年代初頭から

 私がヘイトスピーチデモを最初に目撃したのは、大阪の御堂筋で日の丸を林立させながら練り歩く「外国人参政権反対」デモであった。見慣れた街宣右翼とは異なる市民運動的な右翼デモだった。09年のことだ。この時は御堂筋の対岸を通過するデモを日航ホテルのロビーで眺めていたので、ヘイトスピーチに該当するようなコールがあったか否かは確認していない。が、通行人がデモ隊の中へ引きずり込まれ、もみ合いになっているのを警官が引き離す様子は対岸のホテルロビーからもはっきりと見ることができた。

 09年という年は4月に埼玉県蕨市で「カルデロン一家追放デモ」が行われた年でもある。不法滞在として国外退去となったフィリピン人の両親と離れ一人日本へ残った当時中学生の娘さんの学校へデモがかけられた。これを契機として外国人を排除する排外主義的なデモが先鋭化したとされる。

 12月には京都朝鮮第一初級学校への街宣が行われた。この事は後に民事訴訟で人種差別撤廃条約を法的根拠とした違法性が認められて1225万円の損害賠償が命じられ、最高裁でもこの判決は支持されている。また大阪市では国のヘイト対策法に先立つかたちでヘイト対策の条例が成立している。

 安田浩一によれば、排外主義的な傾向を持つヘイトスピーチが見受けられるようになったのは2002年の日韓ワールドカップ開催の頃から。また菅野完は、2001年に放送されたNHKの「シリーズ戦争をどう裁くか」の第二夜「問われる戦時性暴力」で女性国際戦犯模擬法廷を扱った番組の放送直前に当時の維新政党・新風代表の西村修平がNHKへの抗議行動を行ったのをヘイトスピーチ蔓延の端緒と見ている。

 いずれにしても2000年代初頭から、ネット上で外国人を対象とした中傷誹謗が広がり出したのは間違いない。ネットで「普通の日本人」を自称し保守を名乗り排外主義的主張を繰り返す人々が「ネット右翼」、略して「ネトウヨ」と呼ばれるようになったのはいつごろからだろうか。「在日特権を許さない市民の会」、略して「在特会」が桜井誠を会長として結成されたのは2006年末のことだ。2013年になると200人規模のヘイトスピーチデモが繰り返されるようになった。

 2013年2月には韓流ファンの女子高校生が新大久保の路上で非難の声を上げ、続いてヘイトデモに抗議するカウンターの人々が登場する。有田芳生参議院議員が参議院議員会館で最初の院内集会を開いたのは2013年3月14日。路上での抗議活動と国会での法制化へ向けた動きが着実に積み重ねられた。

 2013年3月、新大久保ではデモ隊先頭の先導車に乗り込んだ桜井誠が路肩でプラカードを掲げて、抗議する人々に向かって「ご声援ありがとうございます」と繰り返していた。東京新聞の記者になぜヘイトスピーチをするのかと問われた瀬戸弘幸は「デモの主張を効果的にするため」と答えている。ネットではJ-NSC(自民党ネットサポータズクラブ)を名乗るネトウヨが跳梁跋扈していた。

人種差別禁止の包括的法案か、ヘイトスピーチに特化した法案か

 2015年に野党が提出した「人種差別撤廃基本法案」は人種差別を包括的に撤廃するなかでヘイトスピーチにも対応しようとするものだった。今年4月に与党から提出された法案はヘイトスピーチの規制を主眼とするものだ。民族・人種差別を禁止する包括的な法案成立を目指すか、ヘイトスピーチ規制に特化した法案をまず成立されるかの選択は、法案制定に関わった人々にとって悩ましいものだったにちがいない。

 結局、法律は与野党修正協議の末、法の見直しの可能性を認めた付則及び法案制定の趣旨及び精神を尊重する付帯決議付という異例の形で成立した。これにもっとも驚いているのは、排外主義的なヘイトスピーチをネットと路上で繰り返してきたネトウヨとその追従者ではないか。彼らは原発政策推進、集団的自衛権支持を唱え、与党・自民党は自分たちの味方だと信じていた節がある。

 あるいは成立したヘイト解消法にはヘイトスピーチ禁止規定が盛り込まれなかったことや、外国出身者や外国出身者の子孫で適法居住者を対象とするという「適法規定」が盛り込まれたことで、自分たちは「守られた」と解釈しているのだろうか。

 ヘイトスピーチに抗議してきた経験から言えば、 ・・・続きを読む
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筆者

中沢けい

中沢けい(なかざわ・けい) 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

1959年神奈川県横浜市生まれ。明治大学政治経済学部政治学科卒業。1978年「海を感じる時」で第21回群像新人賞を受賞。1985年「水平線上にて」で第7回野間文芸新人賞を受賞。代表作に「女ともだち」「楽隊のうさぎ」などがある。近著は「麹町二婆二娘孫一人」(新潮社刊)、対談集「アンチ・ヘイトダイアローグ」(人文書院)など。2006年より法政大学文学部日本文学科教授。文芸創作を担当。

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