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[書評]『小尾俊人の戦後』

宮田昇 著

松澤 隆 編集者

夜とヘアのあいだの星の時間  

 50代以上の出版関係者であれば、小尾俊人(おび・としと)の名前は、好き嫌いは別として、記憶されているだろう。

 敗戦直後にみすず書房を創業し、半世紀以上も活動を続けた。40代未満の本好きにとっては、もはや伝説の出版人かも知れない。その小尾と付き合いの長かった翻訳権仲介のユニ・エージェンシー元社長による傑作回想録が、本書である。

『小尾俊人の戦後——みすず書房出発の頃』(宮田昇 著 みすず書房) 定価:本体3600円+税『小尾俊人の戦後——みすず書房出発の頃』(宮田昇 著 みすず書房) 定価:本体3600円+税
 大きく2部から成り、前半は著者の文章を、後半は小尾の文章を「付録」として載せる。

 「付録」はさらに2つに分かれ、1951年の日記と、月刊「みすず」の1959年から約2年間の編集後記の抜粋。

 「1951年」の意味は、今回著者の取材を受けて小尾の遺族が発見した「日記」が、唯一この年だけだから。

 また月刊「みすず」は、59年4月が創刊号、62年1月が片山敏彦追悼号だから。片山は、小尾に出版社起業の強い動機を与えた文学者だ(創業最初の刊行は片山の『詩心の風光』)。

 「付録」だけで全体の半分ある。でも、読み耽ってしまう。

 1951年、創業5年目(小尾29歳!)のみすずはGHQの統制経済の下、苦しい経営を強いられていた。そこに倉庫会社役員だった北野民夫が社長を引き受け、翌年に株式会社化(北野は金融方面を担保しながら編集には一切口を出さない有難い存在だった)。以後、経営は徐々に安定していく。

 日記はまた、時代と向き合いつつ不羈(ふき)を貫く小尾の意志、情感を熱く伝える。月刊「みすず」編集後記にも、それは溢れている。

 だが、やはり最大の読みどころは、著者が綴る前半部だ。第1章「諏訪紀行」、第2章「小尾俊人の戦後」、第3章「出版者小尾俊人の思い出」。それぞれ響き合い、小尾の像を結んでいく。

 とくに第1章が出色。1928年生まれ(小尾の5歳下)の著者には『翻訳権の戦後史』(みすず書房)など渾身の大著があるけれど、この章の錆びた輝きは格別だ。

 出身の長野県諏訪郡(現茅野市)を巡り、やがて出版の一角で皓皓と輝くことになる青年小尾の発火点を探り当てるのである。岩波茂雄との因縁、偶然と必然の絡み合い、あたかも老熟の探偵が真相に迫る極上の英国ミステリーのようだ。

 小尾は1990年、68歳でみすずを退くが、逝去までのほぼ20年、文筆活動も精力的で自叙伝ふうの著述も他社で出した。そこから小尾に私淑した人も少なくないだろう。だが、世には『サミュエル・ジョンソン伝』のように同時代人にしか著わせない傑作がある。みすずの根幹をつくった翻訳出版の表裏を知悉したこの著者でなければ、これほどの充実と陰影は描けなかったといっていい。

 みすずの顔となる『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』(フランクル著、霜山徳爾訳)の刊行は1956年。この年、小尾にとって片山敏彦と並ぶ重要人物の丸山眞男が、主著『現代政治の思想と行動』を未来社から出している。

 小尾は早くから丸山に注目し、みすず創業後は文字通り公私にわたり、様々な交際を重ねた。だが、丸山の著作物は、長くみすずから出せなかった。

 一方、丸山の意志・意向は、みすずの企画に深く影響を与え続けた。戦後1000社以上生まれ、数年で半分以上が消えた出版界で、小尾は独自の嗅覚と、丸山をはじめとする優れた知性との出会いを深めることで、生きぬいた。そういう時代でもあった。

 丸山の『戦中と戦後の間 1936-1957』が大佛次郎賞を受賞した1977年、私は初めてみすずの名を知った。刊行は前年。つまり小尾は、みすずを支え続けた『夜と霧』から20年かかって、丸山の著書を出したのだ。

 数年後、何も知らず営業部員として入社したとき、小尾さん(とここは呼びたい)は、唐突にこう訊いた。「君は《うなぎ文》を知ってますか」(自分を客観視せよという暗喩かと緊張しました)。

 当時、小尾は取材を受ける側だった。『写真家マン・レイ』の製本前の印刷物が東京税関で押さえられ、フランスへ返送か廃棄かスミ塗りかの択一を迫られたのだ。著者が小尾と共に税関に出向いた経緯も、本書にある。1982年当時、マン・レイの数枚のヘアでこの騒ぎだった。

 小尾は、戦中・占領中のメディア検閲を思い出したかも知れない。結局、部分を黒く四角く(印刷で)塗り刊行。ただし税関の通知書、新聞への投稿をまとめた別冊「検閲問題資料」を付けた。『現代史資料』を粘り強く出した小尾の面目躍如といっていい。

 私は入って最初の仕事で、一部放置され積み上げられた製本前の無修正のマン・レイを抱えて移した。毎日汗だくだったけど、現社長も現編集部長も不器用な新入りに優しかった。昼休みには棚の隅に残っていた様々な旧版、例えば箱入りの『ツヴァイク全集』などを読んだりした。

 在籍した5年間、多くの既刊書が重版を続けていたが、新刊の重版はやや少なく、本書で初めて、小尾が「隠退が5年遅かった」と語っていたと知り、衝撃を受けた(小尾逝去の2011年以降、みすずが話題書を連発しているのは暗示的です)。

 丸山眞男から15年遅れ、同じ8月15日に亡くなったと知ったとき、見事過ぎる退場に拍手したくなった。本書にあるとおり、一切の葬祭、偲ぶ会まで禁じたのも小尾らしかった。ツヴァイク『人類の星の時間』にこうある。

 「本質的、永続的なものは、霊感によるわずかな、稀な時間のなかでのみ実現する……無数の人間が存在してこそ一人の天才が現われ出るのであり、坦々たる時間が流れ去るからこそ、やがて本当に歴史的な、人類の星の時間というべきひとときが現われ出る」(片山敏彦訳)

 みすず書房を築いた小尾俊人は、みすずで《星の時間》を生きた。本書はその光跡を伝えてくれる。かつてその閃光に出遭えたことは、多くの読者同様、私にも幸運だった。それを再認識させてくれた本書に感謝します。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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