奥田愛基 著
2016年07月01日
一緒にいて「SEALDs(シールズ)っていいよね」と言いにくい、友人や著者がけっこういる。デモ懐疑派、民主主義懐疑派、日本国憲法懐疑派などなど。「すぐ流行りものに飛びつくんだね」と見られたくない、自分の中の見栄もある。
今回の「神保町の匠」で本書をとりあげようと決めてから、それらをどう論破しようか、いや、自分に論破する才はないから、それらをどうかわして紹介しようかと、ぐずぐず考えていた。
奥田氏は1992年、北九州生まれ。明治学院大学を経て、現在は一橋大学大学院修士課程に在籍。本書では少年時代から、政治運動にたずさわる現在までの来歴が綴られる。
父親はホームレス支援で有名な牧師・奥田知志氏。朝起きると、父親が連れてきた、知らないホームレスのおじさんやおばさんがいるのが当たり前、という家庭環境だったという。
地元の中学に入学後、いじめに遭い不登校に。中2の秋に、沖縄・八重山諸島の鳩間島にある鳩間中学に転校する。転校先は自らネットで探した。
離島生活で、北九州時代の息苦しさから解放されるが、それでもまだ鬱状態になることがあり、睡眠薬を飲んでリストカットし自殺を図ったこともあった。
里親のおじい・おばあの厳しくも温かい見守りのもとで立ち直り、島の中学卒業後は、島根県の全寮制高校に進学する。自主研究で「平和学」をテーマとし、生徒会長もやるという高校生活は、いまの彼の姿につながる。それでも、《「死にたい」自分と、まだ「生きていたい」自分、どっちが本当の自分なのか》と、自分のことを考えるだけで精一杯だったという。
高校の卒業式の2日前に東日本大震災が起きる。3月の終わりに父親とともに被災地に向かう。大学進学後も、ボランティアのために土日に東北に通う日が1年半続く。
《なかなか終わらない世界も、死ねない自分も許せなかった》と思っていた少年は、《世界が終わっていいわけないなって、当たり前のことを、ガレキの街で考え》るようになる。震災は彼にとってひとつの転機になった。
2012年6月、原発再稼働に反対する官邸前抗議に参加。これが初めてのデモ体験となる。その後、大学を休学し、モントリオール、トロント、アイルランド、ドイツ、イギリスと、約9カ月間、世界を放浪。
帰国後の2013年12月、「SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)」を創設。SASPLの解散後、2015年5月に「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」創設。安保法成立の夏を経て、2015年12月、SEALDsも呼びかけ人となり、参院選で野党統一候補を支援する「市民連合」を創設。
SEALDsはもともとが、2016年夏にあると見られていた衆参同日選での、「リベラル勢力結集」を目的としてつくられた団体である。現在は、SEALDsとしての最後の活動をしていることになる。
かつて、小林よしのり氏は、薬害エイズ運動に関わった若者たちを、「自分たちを純粋と信じ、正義と信じ、熱狂に溺れていく」、「純粋まっすぐ君」と批判した。奥田氏やSEALDsの若者たちも、それと同じだと批判されたりする。
だけれど、私には、彼らが熱狂に溺れているように思えない。昼間は授業を受け、バイトをし、その合間にデモをやる。単位を落とさないことがSEALDsの掟。《日常がちゃんと回ってないと、当たり前だけど社会運動なんてできない》。
奥田氏には、自分たちの活動ぐらいで、すぐに世の中が変わるはずがない、そういう認識がある。特定秘密保護法は通ってしまった。安保法も通ってしまった。今回の選挙で野党が大躍進することもないだろう。
だけれど、彼はそれを敗北とも思っていない。生きづらい少年時代をサバイバルするなかで身につけたのか。社会が閉塞しているのは当たり前という世代ゆえなのか。彼がずっと発している「終わったら、またはじめればいい」というメッセージは、私にとっては新鮮なリアリズムだ。
《相も変わらず、「何をしてもどうせ変わらない」という人がいるけど、そういう人も歳をとり、新たな世代が生まれてくる。つまり、ほっといても時代は変わる。時代は変わっている。「現実を見ろってのはこっちのセリフだよ」》
新しいリアリズムとともに、本書で学んだもうひとつのこと。それは、デモや運動はやっぱり大事だということ。すぐには変わらなくても、デモや運動で、世の中は動くのだということ。
2013年に新大久保でヘイトスピーチを間近で見た奥田氏はこう考える。
《「まずは、両方の意見を聞いて考えよう」とか、「正義の反対はまた別の正義」といった、一歩引いたり、中立気取って客観視して「考えましょう」なんて言ったりしている場合じゃなくて、自分の立場を「イエス」か「ノー」かで答えないといけない時が来ている、という感覚があった》
そして、自分の主張を強く言うのは嫌、デモはダサくて嫌と思っていた彼は、自分たちのスタイルを試行錯誤しながら、デモを始める。
SEALDsが自分たちの抗議活動に野党議員を引っ張り出すことがなければ、今夏の参院選の「野党共闘」はなかった。
SEALDsとは違うけれど、ヘイトスピーチに対する、カウンターの人たちの抗議活動がなければ、ヘイトスピーチ対策法はできなかった。
リベラルとは違うけれど、日本会議の人たちが、80年代以降、デモや陳情や書名活動を地道に続けてきたことで、憲法改正が現実のものになりつつある。そのことは、菅野完さんが『日本会議の研究』(扶桑社新書)で明らかにした。
本書を読むのと時を同じくしてこういう現実を目の当たりにし、私は、自分は「デモで社会は変わる」の側に与しようと思った。自分が傍観者として何もしなくても、世の中は変わる。いや、何もしないでいたら、世の中を変えられてしまう。本書は、そんないまさらながらの決意の背中を押してくれた。
ひとりの青年の成長の軌跡として、新しい市民運動の方法論として、傍観者であることをやめ社会にコミットしようとする人を勇気づける書として、そして大きな転機を迎えた10年代後半の日本の、次世代に語り継ぐべき記録として。選挙の前の一読、選挙の後の再読を、心からお薦めします。いい本です。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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