正統と異端、『柳影澤蛍火』の「悪人」から見えた二人の距離
2016年07月15日
世の中には本人が望まなくても、常に「話題の人」となる人がいる。市川海老蔵は、そのひとりだろう。
最近は妻の病のことで話題になっているが、そもそも市川宗家の嫡男として生まれたときから、彼は「話題の人」だった。その「市川宗家の嫡男」にしても彼が望んでそうなったのではない。
さて、その海老蔵が今月(7月)は歌舞伎座に出ている。
歌舞伎は400年以上の歴史を持つので、50年ほど前に作られたものはまだ「新作」の部類なのだ。
『柳影澤蛍火』は宇野信夫が国立劇場での上演を予定して、1970年に書き下ろしたものだ。国立劇場の開場は1965年で、当時は宇野をはじめ、大佛次郎、北條秀司、そして三島由紀夫などがこの劇場に関わり、新作歌舞伎を作っていた。そんな時代のものだ。
以後、大阪では何度か上演されているが、東京では初演以来46年ぶりの上演となった。
『柳影澤蛍火』は、実在した柳澤吉保が主人公で、徳川綱吉やその母・二代目桂昌院も出てくるが、完全なフィクションだ。柳澤がまだ貧乏な浪人時代から物語は始まり、出世して15万石の大名にして老中になった後、失脚するまでが描かれる。
海老蔵自身は、柳澤吉保とは異なり、生まれながらにして、歌舞伎界の中心にいる。出世のために権謀術数を駆使する必要はない。
しかし、そのことは柳澤吉保を「演じる」にあたり、何の障害にもならない。人を殺したことがなくても人殺しの役を演じるし、そもそも男なのに女も演じるのが歌舞伎役者だ。
もちろん、役者の実人生と役柄とが重なり、奇跡的な名演が生まれることもあるが、それはまさに奇跡なわけで、何年に一度しかない。
7月の歌舞伎座は、ポスターや筋書きには謳っていないが、市川猿之助の責任興行で、猿之助が座頭で、海老蔵は客演という立場だ。
海老蔵は、昼の部では『柳影澤蛍火』で主演し、夜の部では猿之助が主演の『荒川の佐吉』に悪役で出て、さらに市川家の歌舞伎十八番の『鎌髭』(かまひげ)と『景清』(かげきよ)で主演する。
では猿之助はというと、昼の部の『柳影澤蛍火』では敵役として出て、舞踊の『流星』では主演で宙乗りもして、夜の部は『荒川の佐吉』で主演し、『景清』にも出る。
つまり、海老蔵・猿之助の二人とも、それぞれ見せ場がたっぷりある。
こういう座組は、愉しい。
劇界の裏事情など何も知らずに、舞台だけ見ても、充分に愉しいが、知っていればいるで、また別の愉しみ方もある。
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