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海老蔵と猿之助のクールな「盟友関係」

正統と異端、『柳影澤蛍火』の「悪人」から見えた二人の距離

中川右介 編集者、作家

 世の中には本人が望まなくても、常に「話題の人」となる人がいる。市川海老蔵は、そのひとりだろう。

 最近は妻の病のことで話題になっているが、そもそも市川宗家の嫡男として生まれたときから、彼は「話題の人」だった。その「市川宗家の嫡男」にしても彼が望んでそうなったのではない。

「悪の出世学」を描く『柳影澤蛍火』

 さて、その海老蔵が今月(7月)は歌舞伎座に出ている。

柳澤吉保が築園した特別名勝「六義園」を訪問した市川海老蔵 20160608拡大柳澤吉保が築園した特別名勝「六義園」を訪問した市川海老蔵=2016年6月8日
 昼の部で演じているのは、戦後に作られた新作の歌舞伎『柳影澤蛍火』(やなぎかげさわのほたるび)」の主人公、徳川五代将軍綱吉の側近だった柳澤吉保である。

 歌舞伎は400年以上の歴史を持つので、50年ほど前に作られたものはまだ「新作」の部類なのだ。

 『柳影澤蛍火』は宇野信夫が国立劇場での上演を予定して、1970年に書き下ろしたものだ。国立劇場の開場は1965年で、当時は宇野をはじめ、大佛次郎、北條秀司、そして三島由紀夫などがこの劇場に関わり、新作歌舞伎を作っていた。そんな時代のものだ。

 以後、大阪では何度か上演されているが、東京では初演以来46年ぶりの上演となった。

 『柳影澤蛍火』は、実在した柳澤吉保が主人公で、徳川綱吉やその母・二代目桂昌院も出てくるが、完全なフィクションだ。柳澤がまだ貧乏な浪人時代から物語は始まり、出世して15万石の大名にして老中になった後、失脚するまでが描かれる。

 海老蔵自身は、柳澤吉保とは異なり、生まれながらにして、歌舞伎界の中心にいる。出世のために権謀術数を駆使する必要はない。

 しかし、そのことは柳澤吉保を「演じる」にあたり、何の障害にもならない。人を殺したことがなくても人殺しの役を演じるし、そもそも男なのに女も演じるのが歌舞伎役者だ。

 もちろん、役者の実人生と役柄とが重なり、奇跡的な名演が生まれることもあるが、それはまさに奇跡なわけで、何年に一度しかない。

 7月の歌舞伎座は、ポスターや筋書きには謳っていないが、市川猿之助の責任興行で、猿之助が座頭で、海老蔵は客演という立場だ。

市川猿之助拡大『柳影澤蛍火』では海老蔵の敵役として出ている市川猿之助
 であるから、座頭たる猿之助は、海老蔵に主役を用意した。

 海老蔵は、昼の部では『柳影澤蛍火』で主演し、夜の部では猿之助が主演の『荒川の佐吉』に悪役で出て、さらに市川家の歌舞伎十八番の『鎌髭』(かまひげ)と『景清』(かげきよ)で主演する。

 では猿之助はというと、昼の部の『柳影澤蛍火』では敵役として出て、舞踊の『流星』では主演で宙乗りもして、夜の部は『荒川の佐吉』で主演し、『景清』にも出る。

 つまり、海老蔵・猿之助の二人とも、それぞれ見せ場がたっぷりある。

 こういう座組は、愉しい。

 劇界の裏事情など何も知らずに、舞台だけ見ても、充分に愉しいが、知っていればいるで、また別の愉しみ方もある。

「正統」と「異端」の遠くて近い関係 ・・・続きを読む
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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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