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岡本太郎作の太陽の塔拡大丹下健三が設計した「大屋根」を突き破る岡本太郎作「太陽の塔」=1970年、大阪万博会場

 2016年の1月、私は青山の岡本太郎記念館を訪れた。骨董通りの一本裏手には、いまでも古い屋敷がぽつぽつと残っていて、戦前の青山高樹町のふんいきをとどめている。記念館は、1996年に岡本が没するまでアトリエ兼住居として使われていた建物である。1954年に坂倉準三の設計で建てられたものだが、もとは太郎が幼少期から両親の一平・かの子とともに暮らし、戦災で焼け落ちた旧居のあった場所である。

 折から開催されていたのは、「太陽の塔に対峙せよ」と銘打った作品展だった。館長の平野暁臣によれば、かつて大阪万博で丹下の「大屋根」に対峙した「太陽の塔」が、「大屋根」なき後は「ひとりでリングに立って」いる。太郎の精神を受け継ぐなら、この「太陽の塔」に対峙する空間・建築を「今度はわれわれがぶっつける」番なのだ。

 この呼びかけに応じて現れた150点の応募作品から、7点の入選作品が選ばれた。私はたまたま遭遇したこれらの作品群を見て、その奇抜さに呆れつつ、「太陽の塔」がいまだに発揮している喚起力に驚いた。

 最優秀賞の「体漂(たいひょう)の塔」(山田文宏チーム)は、無数の人間の頭や手足が塔の側面ににょきにょきと生え出たおどろおどろしい造形、特別賞の「樹形夢」(大坪良樹)は「太陽の塔」をバイオマス発電所化する万博公園牧場化計画である。両方ともユニークだが、もっと衝撃を受けたのは、「太陽の塔」が3つの口から滝のようにゲロ(吐瀉物)を吐き出す中村宏大の作品である。「太陽の塔」がまるで、創建以来45年間にわたって体内に蓄積してきた呪詛のヘドロを放出するが如き暴発感と爽快感が、(悪臭とともに)立ち上っているようだった。

 近年ますます高まる岡本の人気の秘密は、こうした遊びを平気で呑み込んでしまう鷹揚さにもあるのだろう。2011年5月、井の頭線渋谷駅に飾られた大壁画「明日の神話」に破壊された福島原発の絵を貼りつけたアーティストグループの行動も、岡本作品ならではのことだ。それは第五福竜丸を描き込んだ作品へのオマージュであり、きっと岡本の意に適うはずだという思いがあったにちがいない。このような「共創」を促す作家は、おそらく今、岡本の他にいない。

 1階のアトリエに降りて庭を眺めると、奥まった一角にその日の目当てだった陶製のオブジェがあった。頭に尖った角(耳?)をつけ、丸いお盆のような顔に円らな目を穿った四足の獣。実は、ここを訪れた理由のひとつは、ユーモラスだがどこか邪気を漂わせたこの小動物のオブジェを間近に見ることにあった。

 それを見たかった理由は、岡本が「対峙」した「大屋根」の設計者、丹下健三の自邸にも、このオブジェがあったからだ。丹下は娘の誕生日のプレゼントにと持ち帰ったという。オブジェは、世田谷区成城の丹下邸の庭に長く置かれていた。

丹下健三と岡本太郎の不思議な関係

 大阪万博について考えていくとき、丹下と岡本という二人の巨匠を回避するわけにはいかない。その理由は ・・・続きを読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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