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[9]1970大阪万博――屋根と塔の関係

菊地史彦

大屋根と太陽の塔拡大「太陽の塔」は「大屋根」を突き破っているのか、「共存」しているのか

 磯崎新は後に、「太陽の塔」について、「巨大な男根のような塔が柔らかい皮膜をかぶった屋根を突き抜いたときに、勝負あったと思った」と書いた。

 磯崎は、建築で「日本」を表象した最高のデザイナーとして丹下健三を見ている。広島ピースセンターも国立代々木競技場もその時期の「日本という国家がその意図を表象すべく求めていた主題」であり、丹下は「その国家の意志に適確に応えることが出来たもっとも有能な建築家」だったのである(磯崎新『建築における「日本的なもの」』、2003)。

 その丹下が大阪万博では、みずから戦前・戦後を通して相手にしてきた日本的なものがすでに消失していることを知る。代わりに目にしたのは、自身の伊勢神宮論の中で「原始の暗さと永遠の光」と呼んだ根源的なものが、「あまりにもあっけらかんなかたちをもって、壮大なるキッチュとして出現してしまった」(前掲書)という事態である。そして磯崎はこれもまた「日本的なもの」であることを認めざるをえなかった、と述べている。

 さてしかし、大阪万博に詰めかけた人々に「大屋根」や「太陽の塔」や「お祭り広場」はどのように映ったのだろうか。それらの作品に込められた意味合いや前後の事情を何も知らない人々が、そこに見た風景はどんなものだったのだろうか。

 果たして彼らも、そこに日本のイメージの転換を見たのだろうか。

 『日本万国博覧会公式ガイド』は、「大屋根」を「日陰の用意と雨の用心のためばかりでなく、お祭りのためのいろいろな仕掛けが組みこまれた一つ屋根の下に、世界の人々が集まって楽しもうという、未来都市の指向」とした上で、「この巨大な屋根を突きやぶってそそりたつ『太陽の塔』は、機械文明に挑戦する人間像とも見えます」と書いている。

 この一文には矛盾がある。「大屋根」は庇護を与え、その下で人々の交流を図る大いなる“天蓋”でありながら、機械文明への挑戦を期す意志がそれを突き破らざるをえない“天井”にもなっているからだ。『公式ガイド』は岡本の言説に引っ張られ、機械が管理や一様性を押しつけるのに対し、人間は自由と多様性を求めるというヒューマニスティックだが表層的な“公式”を採用することにしたのだろう。分かりやすいが、この論法では「大屋根」がたんなる制約要因に堕してしまう。

屋根と塔の転倒したイメージ

 磯崎のような内部関係者の慨嘆でもなく、『公式ガイド』のような紋切り型の解説でもない、もっとナイーブな視線がとらえた屋根と塔のイメージはないのだろうか。こちらから付与した意味ではなく、あちらからやってきた意味を率直につかまえた言葉はないのだろうか。

 そんなふうに考えていた私が、たまたま遭遇したブログがある。当時小学生だった書き手は、屋根と塔の記憶を次のように書いている。 ・・・続きを読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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