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ハプニング続出の最終日

 大阪万博は、1970年9月13日閉会した。

お祭り広場では9月7日から12日にかけて「さよなら万国博」拡大「お祭り広場」で閉幕近い9月7日から12日に開かれたイベント「さよなら万国博」
 串間努によれば、閉会式イブの9月12日から、来場者の熱気は急上昇していたらしい。

 「お祭り広場」で宮城まり子が広場へ降りて手をつなごうと呼びかけると、2万人とも3万人ともいわれる観客たちはためらうことなくパレードの中へなだれ込んで、手を叩き足を踏み鳴らした。あちこちで胴上げが起き、会場は興奮のるつぼと化した。

 午後9時、「蛍の光」の大合唱が始まると、電光掲示板には「さよなら」の4文字が浮かんだ。

 最終日は、パビリオンをはじめとする各施設の閉館時間が早かったこともあり、最後に一目(またはもう一目)万博を見たい観客でごったがえした。

 閉会式は13日午前10時から始まった。参加77カ国の旗が「お祭り広場」に入場、黛敏郎作曲の「梵鐘コンクレート」に続き、箏曲が奏でられる中で旗の列が富士山を描き出した。閉会の辞、国旗掲揚、国歌斉唱の式次第の後、佐藤栄作首相、石坂泰三万博協会会長が挨拶、皇太子が閉会を告げて、セレモニーはフィナーレを迎えた。

 「蛍の光」のマーチに乗って「サヨナラ・パレード」が繰り出した。260人のブラスバンドを先頭に、民族衣装のホスト、ホステス1000人が手を取り合って会場内を巡ると、観客が殺到して何重もの人垣ができた。各パビリオンでは、握手、抱擁、胴上げ、感涙に加えて、ホステスが館長を水槽に投げ込むなどのハプニングも続出した。

 午後7時、すべての展示とイベントが終わっても、会場には8万2000人が居残っていた。やがて「お祭り広場」の中央に3人の若者が座り込み、ギターを弾き始めた。ガードマンが制したものの、100人ほどが輪をつくり肩を組んで「幸せなら手を叩こう」と歌い始めた。輪はどんどん大きくなって数千人に膨れ上がり、「ジェンカ」や「トロイカ」などを歌い続けたという。串間は「立ち去りがたい観客たちの自作自演の『サヨナラ・ショー』だ」と書いた(『まぼろし万国博覧会』、1998)。

観客の熱狂と不安

 なぜ観客は立ち去りがたいと感じたのか。

 どんな理由があって、それほどまでに名残を惜しんだのか。 ・・・続きを読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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