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[書評]『娯楽番組を創った男』

尾原宏之 著

奥 武則 法政大学教授

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諷刺とパロディーに生きて 

 本書の帯に「丸山眞男が畏れた兄とは?」とある。これは相当にうまい惹句だと読み終わって思った。

『娯楽番組を創った男——丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』(尾原宏之 著 白水社) 定価:本体2200円+税拡大『娯楽番組を創った男――丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』(尾原宏之 著 白水社) 定価:本体2200円+税
 丸山鐵雄は、明治・大正・昭和の3代にわたって活躍したジャーナリスト丸山幹治(侃堂)の長男として、1910年に生まれた。

 眞男は4歳違いの弟である。丸山眞男は、言うまでもなく政治学者・政治思想史家として多くの業績を残し、現在もさまざまに論議されているビッグネームである。鐵雄について多くを知らない読者を惹きつけるために、この本の帯は有効だっただろう。

 もっともこの惹句によって本書を手にした人は、少しがっかりする。丸山眞男が兄・鐵雄を、どんなふうに「畏れた」のかについて、本書で具体的に述べられているわけではない。著者の「あとがき」に《眞男は鐵雄のことが好きで、終生畏敬の念を持ち続けていた》とあるだけだ。

 かくいう私もこの惹句にだまされた(?)一人である。とはいえ、本の帯に文句を言っても仕方がない。そもそも著者のねらいは、丸山眞男の側に立って、彼がどんなふうに兄・鐵雄を畏れたのかを解明するところにはない。

 本書は、敗戦をはさんで日本放送協会(NHK)で働き、娯楽番組の制作を続けた丸山鐵雄という個性豊かな人物の生涯を追うことを通じて、放送メディア(ラジオ)と社会とのかかわりに光を当てることを目指したものだ。その点に関しては、大いに実りある読書だった。

 鐵雄は、スパルタ教育になじめず旧制武蔵高校を中退し、旧制成城高校を経て京都大学経済学部に進んだ。京大では滝川事件に遭遇する。鐵雄は『大阪朝日新聞』京都版に「戦友」の替え歌「大学の歌」を投稿して掲載された。

 《こゝはお江戸を何百里 離れて遠き京大も ファッショの光に照らされて 自治と自由は石の下》以下、延々と13番まで続く「大学の歌」は、鐵雄の表現活動の根っこにあったものが諷刺とパロディー精神だったことを教えてくれる。

 鐵雄の父・幹治は新聞投書家から身を起こし、生涯に八つの新聞社を渡り歩いた。新聞記者が筆一本で生きることができた時代だった。しかし、1920年代になると、「大企業」となった新聞社は高等教育機関を卒業した者の「就職先」となる。

 著者は、新聞社・テレビ局・出版社などに勤める記者・プロデュ―サー・ディレクター・編集者らを〈サラリーマン表現者〉と呼ぶ。父・幹治と違って、1934年にNHKに就職し、1964年、日本コロムビア取締役制作本部長に転出するまで、主として音楽番組の制作にかかわった鐵雄を、著者は副題にあるように、〈サラリーマン表現者の誕生〉の文脈で捉える。

 〈サラリーマン表現者〉は組織の一員である。フリーの表現者とちがって、さまざまなしがらみのなかで表現を模索せざるをえない。本書はそうした鐵雄の表現活動とその背景を詳細に明らかにしている。

 鐵雄は、NHKにあっても、洒落や替え歌などを織り交ぜたコントで政治や社会を諷刺する手法で〈サラリーマン表現者〉として独自の道を見出す。そこには、戦後、彼が手掛けた『日曜娯楽版』の原型がすでに見られるという。

 1937年、日中戦争が始まり、国民精動(国民精神総動員運動)が本格化する。NHKは国策推進機関となる。そんななかで、鐵雄は高みに立って大衆を教導しようとするだけの「国策臭」に満ちた番組を嫌い、「国策」に乗りつつ、大衆に娯楽を与える番組を制作する。

 1941年9月2日放送の『演芸お好み袋』や同年10月25日放送の『演芸市』も、そうした番組だった。これらは「大衆演芸総合番組」とも言えるもので、歌謡曲・浪花節・落語・講談・漫談といった既製の大衆演芸を単に並べるだけでなく、「司会者の如きもの」を置いて進行させた。

 丸山鐵雄については、戦後、GHQの指導の下、『日曜娯楽版』や『のど自慢』など、戦後民主主義を体現する番組を制作したとの評価がある。著者は、鐵雄が戦時中は言論弾圧の被害者で、敗戦によって本物の表現者になることができたという、一見分かりやすいストーリーに疑問を投げかける。戦時中も戦後も、鐵雄は〈サラリーマン表現者〉として、自身の表現方法を模索した。その「連続性」にこそ目を向けるべきだという著者の指摘は重要である。

 ラジオの聴取者は、むろん大衆である。ラジオ番組の制作者として鐵雄は、知識人の立場から大衆に高級な文化を伝えるというスタンスを一貫して批判した。大衆の中から生まれる独自の文化と共振する番組を求めたと言っていいかもしれない。

 『日曜娯楽版』はサンフランシスコ講和条約発効間もない1952年6月8日に終了した。辛辣な政治や社会への諷刺を嫌った保守政権の圧力とNHKの自主規制があったとされる。『日曜娯楽版』の辛辣さを薄めた『ユーモア劇場』のコントもしばしばカットされたという。

 しかし、圧力や自主規制は否定できないとしても、鐵雄は、自らが武器にしていた諷刺が、安定期に向かっていた戦後社会に生きる大衆にとって娯楽ではなくなったことを自覚して撤退したのではなかったか。著者は、こう考えているようだ。

 時代は間もなく高度経済成長へと突っ走る。鐵雄は1988年12月26日、78歳で死去した。それからすでに30年近い時が過ぎた。いま〈サラリーマン表現者〉は、どのように表現を続けているのだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) 法政大学教授

新聞記者歴33年ののち大学教師。新聞社では学芸部が長かった。最後はシコシコと朝刊1面のコラムを書いていた。大学では「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業が主担当。自己認識としては「日本近代史研究者」のはしくれのつもりだが、立場上、「マスコミ問題」だの「取材文章実習」といった授業もやる。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探―日露戦争期のメディアと国民意識―』(中央公論新社)など。