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大阪万博は「今よりもよい未来」を見せられるか

人類の「進歩と調和」から「調和と進歩」へ

福嶋聡 ジュンク堂書店難波店店長

 「夢よ、もう一度」ということか? 

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに続いて、「2025年大阪万博」に向けての動きが本格化している。2015年4月に大阪府は「国際博覧会大阪誘致構想検討会」を設置、8月には、「国際博覧会大阪誘致の可能性検討状況について〜国際博覧会大阪誘致構想検討会での意見・論点等の整理〜」を発表した。

「人類の進歩と調和」拡大「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた1970年大阪万博
 「万博」とは、BIE(博覧会国際事務局)の承認のもと、国際博覧会条約に基づいて開催される国際博覧会のうち、5年以上の間隔をあけて開催される登録博覧会をいう。2015年のミラノ博のあと2020年にはドバイ博が決まっているので、大阪はその次の2025年の招致を狙っているのである。

 「意見・論点等の整理」では、万博を、大阪への集客力を強化、知名度、都市の魅力を向上させ、人材力や産業・技術を強化するイベントと捉え、「大阪の成長の全般的な推進力として、成長戦略を掲げる将来像を早期に実現するための仕掛けのひとつ」として位置づけている。

 確かに、1970年の大阪万博は、戦後日本復興の到達点として、大成功のうちに幕を閉じた。上海万博(2010年、7308万人)に40年ぶりに抜かれるまで6421万人という、万博史上最多の入場者数を記録したのである。1964年の東京オリンピックと合わせて、日本が敗戦を乗り越えて超大国の仲間入りをした証しであった。

「博物館的世界」から「テーマパーク的世界」へ

 2020年東京オリンピック―2025年大阪万博と、日本の東西の雄が半世紀前と同じイベントのカップリングで「夢よもう一度」とばかりに、現在の閉塞感を打ち破り、再び経済的成長と国家の存在感を取り戻すきっかけにしたいという気持ちは、理解できる。だが先ず、その戦略が今日においても有効かどうかを、冷静に検証しなくてはいけないのではないだろうか?

 テーマプロデューサーとして大阪万博の立役者であった岡本太郎が設立した現代芸術研究所を主宰し、1985年つくば万博以降に開かれた14万博のすべてを訪れて調査、うち5回は日本館のプロデューサーとして参画した平野暁臣が上梓した『万博の歴史――大阪万博はなぜ最強たり得たのか』(小学館クリエイティブ、2016年11月刊)に学ぼう。

 1851年、ロンドンで開かれた《万国の産業の成果の大博覧会》が、万博のはじまりである。巨大なガラスのパビリオン「水晶宮」を会場に、蒸気機関から義歯にいたる10万点もの最新プロダクトがところ狭しとならんだ世界最初の万博は、予想を大きく覆す大成功を収めた。それを見た欧米列強は競って万博を開催、1870年までの20年間におよそ50の万博が開催される。その頂点が、1900年、5086万人を集めたパリ万博だった。

「月の石」拡大1970年大阪万博でアメリカ館が展示した「月の石」
 20世紀になると、万博開催の中心はアメリカに移る。それは、アメリカが国力を伸ばし、政治、経済ともに国際社会の中心へと上り詰めていくプロセスと並行していた。

 2つの大戦を経て米ソ冷戦の時代を迎え、万博は「国威発揚」の場となっていく。

 その象徴が、1970年大阪万博において、日本にはじめてエアドームを持ち込み「月の石」を展示したアメリカ館、高さ109mの館の中空に宇宙船を浮かべたソ連館、この2つの巨大パビリオンが対峙した風景であろう。

ソ連館拡大ソ連館には宇宙船が浮かべられた
 一方、参加企業のパビリオンは、自社商品の展示宣伝よりも、企業イメージのアップに主眼を置くようになっていった。万博は、ストレートな「商品陳列の場」から「体験を通して概念やメッセージを伝える場」に変わっていき、パビリオンは「新技術のショーケース」から「未来を語るアトラクション」へと変貌する。

 万博は、「博物館的世界」から「テーマパーク的世界」へとシフトしていったのである。

魅力を失った「近未来の疑似体験」

 だが、1970年大阪万博でその頂点を迎えたといえる万博は、その後一気に失速する。日本国内においても、大阪万博の余勢をかって開催された沖縄海洋博(1975)は思ったほどの成功をおさめず、続くつくば科学博(1985)、大阪花博(1990)、愛知万博(2005)も1970年大阪万博の熱狂を再現することは出来なかった。

 海外に目を向けても、博覧会熱は急速に冷めていき、開催の頻度はどんどん落ちていく。2000年にドイツが満を持して開催した文字通り世紀末のハノーバー博も、“環境”をテーマにして惨敗した。それは、人びとをワクワクさせるエンターテインメントではあり得なかったからだ。

 20世紀の万博を牽引してきたアメリカも、80年代末に東西冷戦が終局を迎えると、もはや「国威発揚」の必要性を感じなくなったかのように、万博への意欲を急速に萎ませていった。

 イノベーション・ビジネスの急激なスピードアップも、万博衰退の原因である。次々と新製品を繰り出すIT業界は、準備期間も開催期間も長い万博でのプロモーションに目もくれなかった。新製品を独自のプロモーションイベントを通じてダイレクトに社会に投入していくアップルやマイクロソフトが参加しようとしなかったのも当然だろう。

 だが、それらよりももっと深刻な問題は、70年以降、徐々に人間が未来に希望を持てなくなってきたこと、世紀が変わってそのことが更に加速してきたことである。

 万博が誕生以来謳ってきた“産業・技術による文明の「進歩」”は環境破壊を伴って、近い将来の人類の絶滅さえ警告されるようになった。通信技術や交通技術の発展は、確かに地球を狭くしたが、一方で国と国、人と人の格差を広げていった。

 リーマン・ショックによって人間の経済行為そのものに黄信号がつき、冷戦は内戦やテロに替わっただけで相変わらず多くの人の血が流され、核戦争の危険は高止まりしている。今や、万博の基本原則である「近未来を疑似体験させる」ことは、人びとに何の魅力も感じさせないのである。

2025年大阪万博の意味と意義

 そのような状況下で、2025年大阪万博の誘致など、「愚の骨頂」というべきなのだろうか? ・・・続きを読む
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筆者

福嶋聡

福嶋聡(ふくしま・あきら) ジュンク堂書店難波店店長

1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店などを経て、現在、難波店店長。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。

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