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『この世界の片隅に』は少女漫画の型を破った

愛らしくかつ強靭な、「居場所」をめぐる物語

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

「この世界の片隅に」のワンシーン (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会『この世界の片隅に』 (c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

居場所の問題

 『この世界の片隅に』は、題名にも明らかなように、「居場所」をめぐる物語です。

 「私」が住まう、この世界のわずかなスペースは、たまたま許されただけの“故なきもの”なのか、それとも「私」が私であるという理由によって確保しうる“故あるもの”なのか。そうした問いが、主人公に向けて幾度も繰り返されるきわめて存在論的な物語です。

 「居場所」の問題は、少女時代の「浦野すず」には、明確に自覚されていません。請われて広島から呉へ嫁し、「北條すず」と名前を変え、素性すら十分に知らされていない夫・周作とその家族に立ち混じる中で、はじめて出現してきます。特に出戻り小姑の径子の圧迫は強烈で、すずの頭に十円禿げをつくり出してしまいます。

 その義姉が、要領の悪いすずに、広島の実家へ帰ってはどうかと奨めるくだりがあります。それでもすずは、その言葉の意味に気づかず、のんきに里帰りを楽しむ。実家で午睡から覚めた彼女が、「呉へお嫁に行った夢を見とったわ!!」と口にして家族が驚き呆れるという場面を見て、観客は彼女がまだ存在論的不安の手前にいることを知ります。

 すずが「居場所」の意味を知るのは、白木リンと出会ってからです。残念ながら映画ではわずかに触れられるだけですが、すずとリンとの関係は、実はかなり重要なモチーフです(名前の通り、二人は双子的関係にあります)。

 砂糖を買いに闇市へ出たすずが道に迷い、途方に暮れているとリンが現れる。彼女は朝日町遊郭の美しい娼婦ですが、極貧の少女期にすずに出会っているのです。その再会の真相を知っているのは、観客(もしくは読者)だけという演出があります。

 後日、懐妊を期待しながら医者に戦時下無月経症と診断され、落胆したすずがリンを訪ねる場面で、二人はかなり深い対話を行います。「アトトリ」を孕(はら)むべき嫁の義務を述べ立て、その義務を果たせぬ自分を貶めるすずを、リンは穏やかにたしなめ、こう語るのです。

 「誰でも何かが足らんぐらいでこの世界に居場所はそうそう無うなりゃせんよ すずさん」

 このリンの言葉が、物語の後半のキーノートとして響いていきます。

「世界」との違和感

 すずとリンとの関係は、これに終わりませんでした。実は夫・周作は、すずとの結婚以前、リンの許に(おそらく複数回)通っていたらしい。すずは、その事実をふとした偶然から察知します。読み書きの不自由なリンが所持していた、彼女の名前と住所を書きつけた紙片は、周作のメモ帳から破り取られたものだったのです。

 「ええお客さんが書いてくれんさった」というリンの言葉が、すずの脳裏で鳴り続ける。周作が呉の街でふと呟いた「過ぎた事 選ばんかった道 みな 覚めた夢と変わりやせんな」という言葉がそれに重なる。代用食をせっせとこしらえていたすずは、自分もまた一個の「代用品」ではないかと疑う。幼い妻のイノセントワールドは、このあたりから崩れ出していきます。

 昭和20年を迎えて、呉の街はたびたび空襲に襲われます。6月、義姉は娘の晴美を下関へ疎開させようと、すずを伴って駅へ向かいます。切符を買う長蛇の列を待つ間、空襲で負傷した義父を見舞うために病院に向かったすずと晴美に悲劇が起きました。

 晴美は時限爆弾に吹き飛ばされて死亡。すずは右手を失う。

 義姉に「人殺し」と責められ、朦朧とする意識の中で、「この世界に居場所はそうそう無うなりゃせんよ」というリンの言葉を思い起こしながら、すずは、では自分の「居場所」はどこにあったのだろうかといぶかります。

 ところで、「居場所」とは、70年代以後の少女漫画の最重要テーマのひとつです(藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?――少女マンガが映す心のかたち』、1998)。

 今ここにある「世界」との違和感を呑み込めない少女(または美少年)こそ、萩尾望都・山岸凉子・大島弓子・竹宮惠子など「24年組」が繰り返し描き出した存在でした。作品の中の「彼女」や「彼」は、自分の無垢な本質が「世界」とは相容れず、絶えず「世界」とのこすれ合いによって擦過傷を負い続けるしかないことに気づいています。

 自分の「居場所」はここではない。自分が戻っていくべき場所がどこかにあるはずだという強い想いが彼女/彼を支配しています。

 たとえば

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