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「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する

「英語」の悪しき含意から身を解き放とう

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

 報道によると、昨年(2016年)成立した「ヘイトスピーチ対策法」を受けて、法務省が「ヘイトスピーチ」と見なしうる具体的な言動の具体例をまとめたという。

 この10年ほど、とくに在日コリアンを標的とし、相手を絶望の淵に追いこみ時に死に追いやるほどのあまりに激しいヘイトスピーチが幅を利かせた後だけに、目配りは細部にわたっていると評価できるが、私は最も重要な配慮の一つがなおざりにされていると判断する。

 それは、「黒人」に対するヘイトスピーチである。いま、日本には100万人を超える外国人労働者が働いている。その中には、肌の濃い人=「黒人」も少なくない。彼らに対するとても隠微なヘイトスピーチが、それと理解されずにまかりとおっている現実を、私はおそれる。

 本稿は、日本における「人種差別」「黒人差別」を主題とするが、「人種」はそれ自体存在するのではなく、「人種差別」によって作られると私は理解する。それゆえここでは、人種概念の「黒人」を用いる場合、常に「 」に入れる。また以下「英語」に言及するが、この日本語は英語についての本質を誤らせる。本多勝一・元朝日新聞記者のように「イギリス語」と書きたいが、一般になじみがないため、「 」を付して「英語」と表記することにする。

「英語」に見る「黒人」に対するすさまじい差別

ブラック企業「ブラック企業」という言葉は社会にすっかり定着したが……
 さて、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、「ブラッキー」という言葉が、近年頻繁に使われるようになった。当初は「 」つきでこれらを使っていた各種新聞も、最近ではすでに日本語として定着したと見てか、「 」なしで表記している例に出会うこともある。

 私はこれらの言葉を使って、従業員に過酷な労働環境・低賃金・過重労働等を強い法令を無視する反社会的な企業を告発しようとした運動家・理論家の善意を、いささかも疑うものではない。しかし、そうした企業を指す言葉が、なぜ「ブラック」なのか。

 19世紀における「大英帝国」の繁栄(=アジア・アフリカ諸国の収奪)、第一次・第二次大戦を通じてのアメリカ合州国の影響力の増大等を通じて、いまや「英語」は、国際語と言われるほどの地位に上った。だが「英語」は、国際語としては完全に失格である。激しい「人種差別」「性差別」を内包しているからである。

 後者については、後日日本語の問題を含めて論じるつもりだが、前者についてここで強調しなければならない。

 不法企業について「ブラック」と形容する場合、それは「英語」におけるblackの意味が多分にこめられている。ちょうど、「ブラックリスト」や「ブラックユーモア」と同じようにである。「英和辞典」等を見ればわかるが、「英語」において、whiteが圧倒的によい意味を持つのに対して、blackにはほとんどあらゆる悪しき意味がこめられている。

 例えば小学館『ランダムハウス英和大辞典』をひもとくと、whiteおよびblackの意味は次のようである(以下はその意味のごく一部にすぎない)。

white:
「正直な・公正な」
「縁起のよい」
「よごれのない」
「罪(けがれ)のない・清潔な・潔白な」
「悪意のない・害のない」

black:
「よごれた・きたない」
「真っ暗の・闇の」
「陰気な」
「不吉な・険悪な」
「故意の・たくらんだ」
「腹黒い・よこしまな」
「荒廃地の」
「非難されるべき・不名誉な」
「不正な・闇値の」

日本語には黒に対する差別はない

 「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉を用いているのは日本人だが、なぜ日本人が、以上のような差別的な含意に富む「英語」の意味を、あえて日本語にこめる必要があるのだろう。

 もともと、日本語では、黒白に「英語」のような差別的な意味(白の圧倒的な優位・黒の圧倒的な劣位)はなかった。それどころか日本語ではむしろ黒は良い意味を、白は悪い意味をもたされることが多い。

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