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必見! フィリップ・ガレル『愛の残像』

恐るべき恋愛映画

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

破滅型ヒロインの恋愛感情のひだ

ビターズ・エンド拡大フィリップ・ガレル『愛の残像』=ビターズ・エンド提供
 フィリップ・ガレル監督の『愛の残像』(2008)は、なんとも奇怪な恋愛映画だ。まず、いかにもガレルの作品らしく、開巻すぐに恋仲になる男女の姿が、重苦しくメランコリックに、しかし淡々と描かれる。

 そして後半、あっと驚く<急転>が観客を待ち伏せしている(以下ネタバレあり)。

――写真家のフランソワ(ルイ・ガレル)は、撮影で出会った奔放な人妻キャロル(ローラ・スメット)と恋に落ちるが、その後ふたりは別れる。夫との関係も冷え込み、孤独に苛まれたキャロルは、アルコールと睡眠薬の過剰摂取により精神のバランスを崩し、精神科病院に入院するが、やがて身も心もすり減らしたあげく、自ら命を絶つ(その瞬間は巧みに省略され、フランソワが彼女の墓を訪れる場面で、観客は彼女の死を知る)。1年後、フランソワは、新たな恋人エーヴ(クレンマンティーヌ・ポワダツ)から妊娠したことを告げられ、戸惑う。そんなフランソワの前にキャロルの亡霊が現れ、彼を死後の世界へといざなう……。

 だが『愛の残像』は、ホラーやサイコスリラーといった、ジャンル映画ではない。後半までは、キャロルとフランソワの恋愛関係を中心に、抑制されたトーンでドラマが進む。不吉さや禍々(まがまが)しさは強調されない。二人の男女もおおむね無表情に近い顔つきで振る舞う。なので、これはやはり恋愛映画というべきだ。

 もちろん、“絶対の愛”を渇望して次第に心を病んでゆくキャロルの姿が、メランコリック(沈うつ)に描かれるが、そこには見る者を戦慄させるようなタッチはない。むしろ、名手ウィリアム・リュプチャンスキーによる極上のモノクロ映像で、なまめかしく撮られる物憂く不活発なキャロル/ローラ・スメットの顔や肢体が目を奪い、後半の<急転>などつゆほども予感させない(ローラ・スメットの発する蠱惑(こわく)的な魅力に、三白眼で陰気な美青年ルイ・ガレルは完全に食われている)。

 ようするにこの映画は後半までは、もっぱら破滅型のヒロインの恋愛感情のひだが、ひいてはローラ・スメットという女優の稀有な存在感が、鮮明な映像で焦点化される(メランコリーは漂うが、不気味なテイストは希薄だ)。そしてそれゆえに、かえって後半の<急転>がショッキングに突出するのだ。

あの世へと誘いこむ物語的必然

 ただし、本作を再見すると、くだんの<急転>への布石が周到に打たれていることに気づく。たとえばベッドの上でキャロルは、 ・・・続きを読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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