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[書評]『日本政治思想史』

原武史 著

奥 武則 法政大学教授

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「空間」「時間」の視点から見えるもの  

 放送大学の教科書である。

『日本政治思想史』(原武史 著 放送大学教育振興会) 定価:本体2800円+税拡大『日本政治思想史』(原武史 著 放送大学教育振興会) 定価:本体2800円+税
 日本政治思想史? 大学の教科書? 「何でそんな本を取り上げるの?」といった声が聞こえてきそうだ。まあ、この紹介を読んでいただきましょう。

 冒頭は「総論1・日本政治思想史とは何か」と、いかめしい。

 複数の人間がいれば、必ず政治的な領域が生まれる。政治思想史は、その「政治」を研究する政治学の一分野である。

 だが、目の前の政治制度や現実からいったん離れて、「どうすれば複数の人間からなる共同体や社会で、お互いがよりよく生きてゆくことができるかを、古代からの人類の叡知をもとに考えてみようという問題意識」が基本にある。いかにも教科書的なのは仕方がない。だが、書いてあることは至って分かりやすい。

 「古代からの人間の叡知」なんて聞くと、プラトンやアリストテレスから始まり、マキャヴェリ、ロック、ルソーなど、いろいろな名前が思い浮かぶ。たしかに大学ではふつう「政治学史」という科目名で行われている政治思想史は、こうした思想家の政治思想を取り上げる。内容的に言えば、「西洋政治思想史」である。

 しかし、「西洋」ではなく、「日本」となると、この手の「政治学史」は成立しない。民主主義、共和主義、権力、自由、平等、自然法、公共性といった政治をめぐる重要な概念がいずれもヨーロッパで生まれたものというだけでなく、そもそも政治の存在のあり方――とでも言ったらいいか――が西洋と日本では違うのだ。

 日本政治思想史という学問分野を切り開いたのは丸山眞男である。丸山は当初、徳川期の荻生徂徠の思想に「自然」から「作為」の秩序観の転換をみた。つまり、西欧とは違うかたちであれ、日本にも近代的な政治観の萌芽があったことを指摘したのである。しかし、後に、『古事記』『日本書紀』などの読解を通じて、政治や社会を支えている根本が時代を超えて変わらないことに西欧と違う日本の特質をみるようになった。「古層」や「執拗低音」といった言葉が、そこでは使われた。

 著者は基本的に、この丸山の問題意識を受け継ぐ。個々の思想家の言説を追ってゆくだけでは日本の政治思想を明らかにすることはできないというのである。では、いかにしたら「日本政治思想史」を描くことができるのか。

 この問いに果敢にチャレンジした成果が、この本である。言説化されない思想を探るべく、著者は「空間」「時間」という視点を導入し、実に多彩な角度から日本における政治思想の姿に光を当てる。

 その多彩さを伝えるために、「各論」のタイトルを紹介しよう。

・徳川政治体制のとらえ方
・国学と復古神道
・明治維新と天皇
・街道から鉄道へ
・近世、近代日本の公共圏と公共空間
・東京と大阪
・シャーマンとしての女性
・超国家主義と「国体」
・異端の思想
・戦後の「アメリカ化」
・戦後の「ソ連化」
・象徴天皇制と戦後政治

 いかにも「日本政治思想史」の教科書らしいタイトルもないではないが、「空間」「時間」に着目した論述はそれぞれにユニークである。とりわけ、「街道から鉄道へ」「東京と大阪」「シャーマンとしての女性」には、著者の独自なアプローチが鮮やかである。戦後についても「アメリカ化」への注目は当然として、「ソ連化」という視角は斬新だろう。

 著者は、これまでに『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)『直訴と王権――朝鮮・日本の「一君万民」思想史』(朝日新聞社)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ)『可視化された帝国――近代日本の行幸啓』(みすず書房)『皇居前広場』(増補/ちくま学芸文庫)『皇后考』(講談社)などの力作を刊行している。各論には、これらの著作のエッセンスともいうべきものが盛り込まれている。

 たとえば、徳川政治体制を考察するに際しては、『直訴と王権』で描いた朝鮮と日本の支配体制の違いが参照される。朱子学が体制教学となった朝鮮王朝と違って、徳川日本ではイデオロギーではなくシステムによる支配が大きな意味を持った。

 朝鮮では、直訴が許され、顔の見える国王が徳に基づく統治を行うことが求められた。徳川日本では、支配者の顔は見えづらく、整備された街道を行く華麗な駕籠を中心にした行列(将軍は日光参詣など、各大名は参勤交代)が、権威を可視化した。

 さて、「日本政治思想史」にとって最大の課題は天皇制の解明である。本書のさまざまなアプローチも、つまりはこの点に向けられているというべきだろう。

 天皇制を語る言葉は、かつて「国体」だった。「国体」は、明確な言説によって説明されることがなかった。だが、たとえば、天皇が白馬に乗って二重橋に現れることによって、あるいは、全国民が黙禱や遥拝を求められた「国民奉祝の時間」などを通じて、民衆は「国体」を実感した。

 そこに、宮城前広場(皇居前広場)という「空間」を舞台にした「視覚的支配」、全国民一斉の行動を通じた「時間支配」を見ることができる。

 現在の「象徴天皇」について分析する著者のキーワードは、「天皇の皇后化」である。戦前・戦中、天皇は「大元帥」だった。戦後、「象徴」となった天皇は、限定的な国事行為のみを行う存在となった。しかし、アジア太平洋戦争の戦跡や被災地の訪問などを重ねる天皇は、先に生前退位の意向を明らかにした「おことば」に示されたように、「国民に寄り添うこと」を象徴の務めと考えている。むろん、そうした天皇の脇には常に皇后がいる。

 著者は、こうした天皇・皇后にハンセン病患者の傷を自らなめた伝説の残る光明皇后の姿を重ねる。

 天皇の「おことば」は、著者も指摘しているように、日本国憲法が想定する「象徴天皇」の枠組みを超えるものとも言える。「日本政治思想史」を貫く難問に、私たちはいま新しいかたちで直面している。それだけに、斬新にして創意に満ちた、この教科書は味読に値する。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) 法政大学教授

新聞記者歴33年ののち大学教師。新聞社では学芸部が長かった。最後はシコシコと朝刊1面のコラムを書いていた。大学では「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業が主担当。自己認識としては「日本近代史研究者」のはしくれのつもりだが、立場上、「マスコミ問題」だの「取材文章実習」といった授業もやる。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探―日露戦争期のメディアと国民意識―』(中央公論新社)など。