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[16]再び「子殺し」「親殺し」考 『晩春』9

原節子自身の内側から立ち上がってくる「親殺し」の主題

末延芳晴

25のショットを通して表出されてくるもの

 映画『晩春』の中間部におけるクライマックスともいうべき能楽堂で、舞台正面席に原節子と笠智衆が隣り合わせに座り、それに三宅邦子が席を隔てて斜め向こう側の脇正面席に坐って、『杜若』の演能を見るシーンは、能の舞と謡と楽器の合奏によって表出される「音楽的時間」に乗って流れる6分15秒という台詞のない時間を25のショットに分節化し、それぞれを通して原節子の内心における思念や感情、情動の動きをリアルに表現したものである。

 ここでは、それぞれのショットにおいて、父親の再婚相手と目される妙齢の女性が、同じ能楽堂で『杜若』を見ていることで、心穏やかならざるものを感じている原節子の内部において生起しているものについて、少しく立ち入って見ていくことにしたい。

 さて、25のショットに分断された6分15秒の映像を以下の写真のように注意深く見ていくと、(12)と(14)、(16)と(18)、さらに(20)(22)(23)、そして最後の(25)までの画像を通して、原節子の顔の表情や角度を微妙に変化させていく抑制のよくきいた、しかも内発的自在性に裏付けられた演技が、いかに彼女の内部において生起する心理や感情、情念をリアルに表出しているかが、手に取るようによく分かる。

 見落としてならないのは、彼女のこのような迫真的演技が、このシーンの時間の流れを宰領している能の舞と謡の引き延ばされた時間の流れに乗って、原の内部から自然に内発してくるものとして表出されていること。そしてもう一つ、最後の(25)から二つ前の(23-1)と(23-2)、あるいはもう一つ前の(22-1)から(22-6)までの映像で、絶望に打ちひしがれてといった感じで頭を低く垂れていた原が、最後のショットにおいて、内側から迸(ほとばし)り出てくるものを抑えかねたように、見えるものには見えると言ったレベルで胸と肩を細かく震わせ、面を少し上げ、「私も自立して、自分の人生を切り開かなければ!」といった風に、覚悟を固めた表情を見せることで、この映画における「父殺し」という根本主題が、はじめて原自身の内面から立ち上がってくる現場に、私たち自身も立ち合うことになるということである。

「序・破・急」の構造に則った6分15秒

 最後にもう一つ、ここでの6分15秒に及ぶ、いわば「無言のモノローグ」が、能の「序・破・急」の構造に則って構成されているということ。つまり、最初のショット(1)から(13)まで、演能に見入る原節子と笠智衆の親子が、斜め向かい側の脇正面の席に坐る三宅邦子と笑顔の会釈を交わすまでの映像が「序」に当たり、その後、(14-1)から(23-2)まで、すなわち原が三宅邦子と笠智衆の顔を交互に窺うように見比べ、父親はあの女の人と再婚するに違いないと思い込み、不安や怒り、嫉妬、敵対心、怨念、諦め、絶望……と、男に裏切られた女の「負」の感情のどん底に落ち込み、がっくりと頭を垂れ、うつむいているところまでが、「破」に当たり、そのあと、やや面を上げ何かを決意したように唇をキッと閉め、強い眼差しで下を見据えている最後の、時間にして約5秒程度の一番短い映像が「急」に当たると言っていいだろう。

 さてそれでは、一つひとつのショットを通して原節子の内面意識や感情がいかに表出され、結果として彼女自身の決断として、「親殺し」の意志がいかに発現してくるか、画面の流れに沿って見ていくことにしたい。

 ちなみに、それぞれの画像の下にキャプションをつけてあるが、カギ括弧の中のセリフは、原節子の心中に生起している思いや感情を、筆者が読み取って記したものである。また(20-1)と(20-2)の間の笑尉の能面は、このシーンにおけるスクリーンに映し出されたものではなく、原節子には、隣に坐る父親の顔がこのように見えているということを理解してもらうため、筆者が挿入したものである。

拡大(1) 『杜若』の舞台に見入る原節子と笠智衆。笠の目線がほぼ水平に舞台の上のシテに向かっているのに対して、原の目線が「上の空」といった感じで上を向いていて、周囲に坐る者の目線と意識が舞台に集中するなか、原だけが、能楽堂全体を包み込む意識の共同性から疎外され、浮いている感じを見る者に与える=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(以降の写真も同様)

『杜若』の「序の舞」を舞うシテと囃子方拡大(2) 『杜若』の「序の舞」を舞うシテと囃子方
(3)(1)と同じ構図拡大(3) (1)と同じ構図
(4)(1)よりやや引いた位置から拡大(4) (1)よりやや引いた位置から
(5)(2)と同じ構図拡大(5) (2)と同じ構図
(6-1)舞台中央に出て「杜若」の精霊を舞うシテ。舞台左下の白洲から見上げる目線で撮られている拡大(6-1) 舞台中央に出て「杜若」の精霊を舞うシテ。舞台左下の白洲から見上げる目線で撮られている
(6-2)(6-1)と同じ構図拡大(6-2) (6-1)と同じ構図
(7) 地謡方と右端に坐るワキの旅僧。舞台左手の白洲から、ロー・アングルで見上げる目線で拡大(7) 地謡方と右端に坐るワキの旅僧。舞台左手の白洲から、ロー・アングルで見上げる目線で
(8)(1)と(3)より接近。ここでも原節子の眼差しは舞台の上を向いている。彼女の意識は舞台に集中しておらず、頭の中に生起する想念や思念、感情の動きを追っているようである拡大(8) (1)(3)より接近。ここでも原節子の眼差しは舞台の上を向いている。彼女の意識は舞台に集中しておらず、頭の中に生起する想念や思念、感情の動きを追っているようである
(9) 再び(5)と同じ構図拡大(9) 再び(5)と同じ構図
(10) 舞台中央からやや見上げる目線で拡大(10) 舞台中央からやや見上げる目線で
(11) (10)と同じ方向から遠く引いた構図拡大(11) (10)と同じ方向から遠く引いた構図
(12-1) (8)と同じ方向から同じ構図で拡大(12-1) (8)と同じ方向から同じ構図で

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筆者

末延芳晴

末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家

1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」