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[1]五輪やサッカーW杯並み? カンヌの凄さ

林瑞絵

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2016年のカンヌ映画祭が公式ポスターに選んだのは、
ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』のワンシーン。
レッドカーペットへの目配せが=撮影・筆者
拡大2016年のカンヌ映画祭が公式ポスターに選んだのは、 ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』のワンシーン。レッドカーペットへの目配せが=撮影・筆者

「パルムドール 誰も知らない」

 毎年5月に、南仏の避暑地で開催される華やかな映画の祭典。歴史も権威もあり、レッドカーペットをドレスアップしたスターや映画人が歩く……。

カンヌは風光明媚は南仏の避暑地=撮影・筆者拡大カンヌは南仏の風光明媚な避暑地=撮影・筆者
 一般にカンヌ映画祭にはこんなイメージがあるのではと想像する。

 最近は俳優の山田孝之氏がドキュメンタリー風のテレビドラマで、「(賞を)獲るんだったら世界最高峰のカンヌ」と言ってくれていた。

 だが上映作品や映画祭というイベントそのものについては、業界関係者やごく一部の映画愛好家にしか興味を持たれていない気がする。

 ドラマの中の山田氏でさえ、カンヌの最高賞を表す「パルムドール」という言葉を知らず、「(賞で)一番のやつ」という曖昧な認識(という設定)であった。

 本番組のOPテーマ曲であるフジファブリックの「カンヌの休日 feat. 山田孝之」には、過去の受賞作や上映作のタイトルが、歌詞に散りばめられていた。その中で「パルムドール 誰も知らない」と歌われる。これは柳楽優弥が最優秀男優賞を獲得した是枝裕和監督の作品名をたまたま使ったというより、「カンヌのパルムドールなんて誰も知らない」という意味も込められているように感じた。

 結局日本では、カンヌで邦画が招待されたり受賞をした時は一瞬話題になるが、それは主に、「同胞の活躍を見るのが嬉しい」というナショナリズム的な満足感を満たす興味に近いだろう。現在の日本で「パルムドールなんて誰も知らない」状態なのは、無理もないことだ。

 2016年の映画観客動員数は42年ぶりに1億8000万人を突破。全体の興行収入も前年比で108.5%の2355億円を記録するなど、数字的には好調だった。だが観客動員数の内訳のほとんどは日本映画かアメリカ映画。日本人が映画を見に行く回数は、昨今は一人当たり年1.3回程度だが、このようなライト層が映画館に足を運ぶ時には、「せっかくなら話題作」と、邦画かハリウッド大作を選ぶことだろう。

 そう考えると、主に世界のインディペンデント映画にスポットライトを当てるカンヌ映画祭の詳細なんぞ、「いくら成功している」と主張したところで、興味を持たれず、ピンと来ないのもごく自然なことに思える。

 でもカンヌは、腐っても、目下、世界最大の映画の祭典。現存の文化イベントとしては最大級の成功をおさめているのは紛れもない事実。カンヌの成り立ちや特徴、成功理由を掘り下げれば、映画祭に限らずとも、文化イベントや町おこし、あるいは他の様々な分野でヒントや示唆を与えてくれるのではと思うのだ。

オリンピック並みのジャーナリスト数

 そこで問題を深堀りする前に、カンヌの凄さを2つの観点からお伝えしたい。

(1)オリンピック、サッカーW杯に次いで世界で最も報道されるイベント

 フランスではカンヌ映画祭について、「オリンピックの次に(またはサッカーW杯も加え)世界で最も報道される(定番)イベント(のひとつ)」と紹介されることが多い。

出演者が豪華過ぎてジャーナリストも撮影に必死!
グザヴィエ・ドラン監督『たかが世界の終わり』の会見=撮影・筆者
拡大出演者が豪華過ぎてジャーナリストも撮影に必死! 2016年にグランプリを獲得したグザヴィエ・ドラン監督『たかが世界の終わり』の会見=撮影・筆者
 フランス政府の公式ホームページやカンヌ市のサイト、あるいはルモンド紙といった大手メディアや映画の専門書に至るまでそのように伝えているからフェイクニュースではあるまい。

 この説のある程度の根拠となるのが、プレス用のアクレディテーション(資格認定証)の発行数、つまりは取材にくるジャーナリストの数だ。

 2016年のカンヌ映画祭の場合、計4399枚(報道技術者も含め)の同カードを発行した。

ジャーナリストが多すぎて上映会場に入るのもひと苦労だ=撮影・筆者拡大ジャーナリストが多すぎて上映会場に入るのもひと苦労だ=撮影・筆者
 一方、最近のオリンピックは5800枚(ただしテレビ報道関係者は別)、フランスで開催したユーロ2016(サッカー欧州選手権)は4000枚がジャーナリスト用に発行された。2014年のサッカーW杯はテレビ報道関係者込みで1万8000枚のカードが発行された。

 また他の映画祭と比較すると、上映作品の価値、スターの存在、経済活動の点でカンヌに次いで世界第2位とされるトロント映画祭で1000枚以上。こちらは「市民向けの映画祭」というイベントの性質の違いが、プロ向けのカードの少なさ(あくまでカンヌと比べれば)につながっているのだろう。

 3位のベルリン映画祭は意外と健闘しており、ベルリン市の公式サイトで「約4000人のジャーナリストにカードを発行した」とある。だが現地入りした筆者の実感だと、がらがらの記者会見も多く、「そこまで世界のマスコミが大挙して押し寄せてたかな?」という気もしたが。

 あとは映画祭ではないが、映画の祭典として名高い米アカデミー賞のセレモニー。こちらはプレスの数は意外と少なくて、スイスの公共放送局の報道によると、2010年の情報で約1500人だった。ただ米アカデミー賞は何日間にもわたって映画を上映する映画祭ではなく、アメリカ映画の振興が目的の映画賞で、セレモニーは1日で終わるという根本的な違いがある。

 一方のカンヌは12日間も続き、期間中は毎日様々なニュースが量産されてゆく。上映される作品の国籍も世界に跨(またが)り、自国の作品が上映される国のジャーナリストは、日本人もそうだが、喜び勇んでカンヌ入りするものだ。

 参加するマスコミの数が多ければ、メディアで報道されるチャンスが増えるのは当然。だがオリンピックやカンヌのような超ビッグサイズのイベントになると、アクレディテーションの数がそのままジャーナリストの数になるとは限らない。オリンピックの場合、アクレディテーションの上限を5800枚と決めており、そこであぶれるゲリラジャーナリストがうようよ存在するのだ。

 結局、ゲリラ組やテレビ中継スタッフまで含めると、ロンドンオリンピック時で推定約2万5000人の報道関係者がいたとされる。またユーロ2016はアクレディテーションの上限を4000枚としたが、実際は4600枚の申請があった。こちらもゲリラジャーナリストの数はかなり多かったはずだ。

 カンヌ映画祭はとりわけ上映会場のスペースの問題があり、アクレディテーションの発行数は現在のところ4500枚くらいで頭打ちにしている。筆者も2006年の60周年記念イヤー時は、申請したジャーナリストの数が多すぎてカードを発行してもらえなかったことがある。弱小フリーライターの悲しい過去だ。

 さて米アカデミー賞のアクレディテーションの数はカンヌよりずっと少ないとはいえ、世界的にアメリカ映画隆盛が続くこのご時世、わざわざ現地まで取材に行かずとも、オスカーの話題を記事にしたがるジャーナリストは多いだろう。さすがに本国フランスでは、米アカデミーよりカンヌに関する報道が圧倒的に多いが、アメリカや日本ではアカデミー賞の話題の方がずっと身近ではないか。

 そう考えると、実はどのイベントが世界で最も報道されているかを正確な数値で測るのは難しそうだが、ここでは、「日本人が思うより、カンヌは世界的に有名で凄いんです」とだけ主張しておきたい。

「ベスト・オブ・ベスト」を集める映画祭

(2)世界で唯一実現可能な「映画のオリンピック」

 フランスのカンヌにドイツのベルリン、イタリアのベネチアを合わせ「世界三大映画祭」と称される。どれも世界的に有名な映画祭だろうが、多くの人にとって、印象は似たり寄ったりではないか。

 だが映画祭も今や他分野と同様に、パワーの一極集中が止まらない。今やカンヌ映画祭が他の映画祭を引き離すような圧倒的なパワーを持っている。もしも映画関係者が年に一度、仕事のために1か所だけ映画祭に行かねばならぬなら、普通はカンヌを選ぶだろう。カンヌは年に一度の外せない巨大なランデブーの場となっているからだ。

 そして多くの映画人は、自分の作品が国境を越え広く発見してもらうため、ジャーナリストをはじめ世界の映画関係者が一斉に集うカンヌで映画を上映したいと願う(もちろん映画祭を意識しないタイプの監督もたくさんいるが)。だから世界の映画監督を強い磁力で引きつけるカンヌは、他に先駆けワールドプレミアとして上映できる作品を、どこの映画祭よりも容易に手に入れやすいという恵まれた環境を享受する。

 世界2位のトロント映画祭にはコンペティション部門がないから事情が異なるが、ライバルのベルリンやベネチアの場合、狙った監督の作品をカンヌに持って行かれることが多い。だからカンヌはカンヌが信じるところの「世界のベスト・オブ・ベスト」の作品をかなり意のままに集められるわけで、現在唯一、「映画のオリンピック」が可能な場所であると言っても良さそうだ。

 ただしカンヌが構築する「映画のオリンピック」というのは、欧米的な価値観が軸となっていることは否めない。また自国の映画をかなり優先扱いしている節もある。また映画を選定するプログラミング・ディレクターの感性が曇っていれば、いくら環境に恵まれていても、本当に最良の作品を選べているとは限らない。「スポーツのオリンピック」なら数字で優劣が付けられるが、感性が頼りな「芸術のオリンピック」の場合、作品の評価は最終的にジャッジする人間の主観に頼る相対的なものにならざるを得ない。その判断の真価はゆっくりと歴史が証明もしてくれるだろう。

 だが、それを差し引いても、現在カンヌは世界映画の最前線を一番理想に近い形で見られる唯一無二の場所ではある。

日本式に利用できるか

 さてこれまでもカンヌの成功理由については、ざっくりと紹介してきた。

カンヌ映画祭はなぜ強いのか?(上)――華やかさの演出とフィルム・マーケットの成功

カンヌ映画祭はなぜ強いのか?(下)――理想のための現実路線、すべては作家映画のために

連載 新生カンヌ映画祭、その評価と未来

 だが、さらに他の側面からも成功理由を探れることだろう。

 目下、「我が世の春」を謳歌しているカンヌ映画祭。だが過去には失敗や「黒歴史」もあった。紆余曲折と試行錯誤、トライアンドエラーを重ね、輝かしい今の成功を一歩一歩築いてきた。知られざる歴史や実例の数々、そして関係者の「策士」の素顔は、知れば知るほどに映画ファン以外にも参考になることがありそうだ。

 もちろん日本とフランスは違うから、そのままアイデアをコピペしては使えないだろうが、日本式に進化させ利用することはできるかもしれない。

 2017年の今年、カンヌ映画祭は70回目を迎える。この節目を機に未来思考で変化をやめないカンヌ映画祭の秘密に迫りたい。 (つづく)


筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

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