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白井晃演出×志尊淳主演で『春のめざめ』を上演

19世紀後半の赤裸々な物語は現代との相似形

米満ゆうこ フリーライター


 ドイツの劇作家フランク・ヴェデキントの名作『春のめざめ』が、白井晃の構成・演出で甦る。19世紀のドイツを舞台に、思春期の少年少女たちが性にめざめ、大人や社会からの抑圧にもがき葛藤する姿を描いた同作は、1891年の出版後、そのセンセーショナルな内容から15年にわたり上演禁止になったほど。その後、オペラ、映画などさまざまな形で繰り返し上演されてきた。近年ではブロードウェイでミュージカルになり、世界中で大ヒットしたことが記憶に新しいが、今回はストレートプレイとして上演されることに注目だ。物語の主人公で、ドイツの中等教育機関で学ぶ優等生のメルヒオールを演じるのは、若手俳優の志尊淳。昔から『春のめざめ』に強く惹かれていたという白井と、本作がストレートプレイ初主演になる志尊が、大阪市内で会見を開き、その思いを語った。

届けたいものや表現したいものがたくさんある

拡大『春のめざめ』演出の白井晃=米満ゆうこ撮影
記者:作品に対する意気込みを、それぞれお聞かせ下さい。

白井:私は、昨年からKAAT神奈川芸術劇場で芸術監督をしています。3年前からKAATにアーティスティック・スーパーバイザーとしてかかわり、近代戯曲、とくに20世紀初頭前後の作品を現代で読み直したらどうなるかということにアプローチしてきました。今までイプセンの『ペール・ギュント』、ストリンドベリの『夢の劇―ドリーム・プレイ』、ブレヒトの『マハゴニー市の興亡』を上演しました。今回の『春のめざめ』は、ブロードウェイのミュージカル版がヒットしたこともあってミュージカルだと思われてしまうのですが、私としては、ストレートプレイとしての認識が高くて、「あの作品がミュージカルになるの?」と意外でした。

 何故、この作品に惹かれたかといいますと、19世紀後半と昨今の時代背景が、とっても酷似している印象を受けたからです。産業革命は今のIT革命、資本主義の発展はグローバル経済の発展といった相似形を感じるのです。現代は過去の拡大した形で物事が起こっている。その中で、僕たちが変わってきているのかというと、根本的な形で子どもが生まれ社会に出ていくということ自体は何も変化していない。子どもたちを囲む環境も、戯曲とは相似形をなしていて、今と同じような環境ではないかと。道徳や教育的なことはドンドン変化はしているんですけれど、社会が子どもたちに与えるプレッシャーというのは、何も変わっていないというような気がします。ですので、この時代に真正面からぶつかってみるのもいいのではないかと思いました。14、15歳の世代の話ではありますが、上演するにあたって、その時代を通過してきて間もない若いメンバーと一緒にやっていければいいなと。舞台の経験が浅いメンバーとやることによって、人前で表現することと、子どもたちが社会と対峙していくこととが相似形になればいいと思っています。稽古を始めていく中で、そういう発見にも繋がればいいですし、私自身も楽しみです。志尊さんをはじめ、キャストとは親子ぐらいの年齢差があって、おじいちゃんにならなくて良かったなとは思いますが(笑)、彼らから私も学ぶことは多いと思っています。彼らの肉体を通して演劇というのがどういう方向に向かうか、発見できればいいですね。

志尊:ストレートプレイで初主演、それも白井さんの演出でさせていただききます。僕たちの年代で、役者という仕事に就いていても、こういう戯曲に接することは少なくて、どう入っていけばいいのかと考えています。僕自身この作品を読んで、届けたいものや表現したいものがたくさんあると思いました。いろんな方に知っていただきたい作品です。不安要素はたくさんありますが、作品が表現していることは誰もが通る道ですし、共感できたり、親しみやすかったりする。僕自身、役者として新しい扉が開く瞬間になると思います。全力で取り組んでいきたいです。

性的な問題と社会に出ていくことは密接に関係している

拡大『春のめざめ』に出演する志尊淳=米満ゆうこ撮影
記者:白井さんにおうかがいします。近代戯曲を過去に3作上演されたとおっしゃっていました。手ごたえや新しい発見はありましたか。

白井:一つひとつ作品をやっていく中で、自分にとっては発見があるんですけれど、それが今の演劇のシーンにおいて、どういう意味合いを持つのか、まだまだ結果は分かりません。直接的なレスポンスがはっきり見えてこないので、ただただ、玉を撃ち続けている状態だというのが正直なところです。時々、「こういう戯曲があるんだ」「面白い戯曲が見過ごされていたんだ」という声は聞きますし、「劇場で取り上げていくことに意味があるんだね」とおっしゃる方もいます。昨年上演した『マハゴニー市の興亡』は、もともとオペラだった作品を音楽劇に作り替えたので、ブレヒトにもこういう作品があったのかと目を向けるいいチャンスにはなったと思います。日本の作家のものもやっていきたいんですが、戦前、戦後の作家にも時代の中で埋もれてしまった作品も多い。そういったものを上演することは、日本の中で演劇が今、どういう位置にあるかということを見直すためにはすごくいいんです。

 こういうことを、しゃべり始めたら止まらなくなっちゃうんですけど(笑)、日本には縦の系譜がなさすぎるんですよ。学校で演劇を教えるところすら少ないですからね。何かの表現衝動にかられてポッと出て来る形態が多い。かくいう私も80年代の小劇場ブームの中で、ポッと出て来た人間ですから(笑)、それはそれで大切なのですが。そのときに「バンドのように劇団が出て来る」とよく言われました。バンドでチームを組んで出て来る。俳優座や青年座のように、先輩たちがいるわけでもなく、同世代の気の合う連中とやっていく。30年間、そういう時代が続いてしまったがゆえに、僕たち自身が気づいたことは「足元がしっかりしていない。ちゃんと地面を踏んでいないな」ということなんです。そこをちゃんとやっていかないと、後輩たちにバトンを渡していけないとこの歳になって感じるようになりました。自分たちだけではなく、若い世代にそれを伝えていくことは意味があると思っています。

 『春のめざめ』で「ヴェデキントが、こんなにグロテスクで人間を赤裸々に描写することを100年以上も前にやっていたんだ」ということを志尊さんの世代の俳優が知るだけでも意味があると思います。この作品をどういう風に消化するのか、同世代の俳優たちと格闘していくことにも意味があるんです。

拡大『春のめざめ』演出の白井晃=米満ゆうこ撮影
記者:この作品の魅力は、今おっしゃった100年前の作品にもかかわらず、立ち上がってくる赤裸々さのようなものでしょうか。

白井:志尊さんとプレ稽古のときに二人でお話ししたんです。「親に反抗したことある?」「友達と喧嘩したことある?」と聞いたら、「あるんですよ。家を飛び出したことも」と。「僕もあるんだよ(笑)」と返しました。皆、30年ぐらい年の差があっても、大人になる過程において、ぶつかる部分は変わらないんです。僕自身もメルヒオール的な感覚を味わったこともありますし、志尊さんをはじめ、皆の中にメルヒオールや、モーリッツ、ヴェントラがいる。それを通り抜けていない人は、ほぼ、誰もいないんではないかと。性的な問題と社会に出ていくことは密接に関係している。男である女であるということを自覚せざるを得ない瞬間は、他者を意識し始めることでもある。一緒に砂場で遊んでいた子が他者であることに気が付く過程は今も昔も変わらない。それは性的なことと同様、ひいては自分が自分であることを発見していく過程ですし、体が大人になることは誰しも経験している。それと同時に起こる軋轢や、プレッシャーなどは今も昔も変わらない。そこが作品の魅力でもあると思います。

志尊:時代背景も国も宗教も違う環境の中で、同じことを言われても、受け取り方も違いますし、正解はない。その中で登場人物がもがき苦しみ、生きていくことがすごく面白いと思いました。僕自身もこの年代のころ、自分の意見が言えず感情が爆発してしまうとか、知識だけが上回って理性が伴わないところがたくさんありました。作品はメルヒオールだけではなく、モーリッツも含め、すごく共感できる部分があります。そこを白井さんがおっしゃっていたように、赤裸々にこびずに自分の思いを感情として表現していきたいです。そのように感じている同年代の方も多いと思いますので、代弁ではありませんが、表現した先に、個々の色も見えてくるのではないかと。逆を言えば、子どもを教育する年代の方に見ていただいても、いろんな捉え方ができる作品だと思います。たくさんの方に見ていただきたいですし、何かを感じてもらえればと思います。

過去の経験が役へのアプローチにもなる

記者:志尊さんはオーディションではなくて、白井さんが選ばれたそうですが、その理由と期待されるところは?

白井:出会ってみて、ちょっと面白い子だなと思いました。初めは、もう少しナイーブな青年だと思っていたんですが、違うところもたくさんありました。ナイーブじゃないと言っているわけではありませんよ(笑)。ご本人を前にして何なんですけど(笑)、彼は負けず嫌いなんです。だから、彼をメルヒオールにしたら面白いと。どんな役者さんに出会うかは限りなく選択肢があるんですけれど、その中で志尊さんは、映像を見ていてもちょっと面白くて、腹に何かを持っているなという印象を受けていました。お会いしたところ、負けず嫌いで芯の強いところがありそうだなと感じて、お願いした次第です。

拡大『春のめざめ』に出演する志尊淳=米満ゆうこ撮影
記者:メルヒオールにはさまざまな衝撃的な出来事が起こります。その体験を通して大きく成長していく役どころですね。

志尊:14歳でまだ成熟していないうちに、責任を感じることも理解していないうちに、突発的な感情でいろんなことをしてしまう。そしてそれを後悔する。その後悔することですごく成長を感じられる役だと思います。僕がとってきた過去の行動は、舞台でメルヒオールとして感じることもできる。過去の経験が役へのアプローチにもなるので、すごく興味深いなと思います。最後までしっかりと突き詰めていきたいです。

記者:メルヒオールの友人役で、劣等生で問題児のモーリッツも作品の要です。今回、モーリッツ役に栗原類さんを選ばれた理由は?

白井:栗原さんはオーディションを受けにきてくれたんです。「えっ、君が受けにくるの?」と思いました。かなり、オーディションを繰り返したんですよ。芸能プロダクションや劇団に所属している人など、いろんな若手俳優がいたんですが、そういう子たちと出会うことによって、何が俳優を目指すきっかけになったのか、何を考えて俳優をやろうとしているのかということを知ることができました。栗原さんは、表現者としての信念や欲望が明確にあった子だったんです。彼自身の表現に対する欲望に触発された部分もありましたね。彼がモーリッツとしてぶつかったとき、どういう内面を出していくかが面白そうだと。かなりのバトルになる予感がしています。今、ここでは私と志尊さんは仲良く話していますけれど、1カ月ぐらいしたら、作品の中に出て来る校長先生みたいになっていて、「違う」と言って、皆を追い詰めているかもしれません(笑)。それも必要なのかなと思います。自分が今、社会の大人の立場にいますし、大人が社会を作ることは何なのかということも大人の役者さんと話したいですね。

記者:音楽は降谷建志さんが手掛けます。

白井:『春のめざめ』を作ることに伴い、頭の中に出て来た音が降谷さんの音でした。降谷さんはDragon Ashやソロでも活動され、いろんな側面を持っていらっしゃる。劇場の音楽を作ることは、自分がいつもやることと違うのですごく面白いと感じて下さっているんです。Dragon Ashをはじめ、彼が作る音楽の中には自分たちと他者、社会へのメッセージ性がある。ヴェデキントの作品とはうまくシンクロできるのではないかと期待しています。

記者:作品は現代とリンクする部分が多いとのことですが、演出では何か現代を彷彿とさせるプランはあるのでしょうか。

白井:ヴェデキントの言葉は変えようとは思いません。言葉は変えなくて、見せ方としては我々の問題でもあるよということを示したい。ギムナジウムといわれている学校をどういう風に捉えるか。チラシにあるように、彼らが外の世界に飛び出せないように、保育器の中に閉じ込めてしまいたいと思っています。まだまだ未成熟で、社会の中に飛び出せない彼らが、ガラス張りの保育器の中でジタバタ暴れているような感じですね。飼育されているハツカネズミのような状態。上から観察されて、どういう風に大人になり、そこからどう出ていくのかという象徴にしたい。空間そのものをそういう風にイメージできればいいなと思っています。

◆公演情報◆
『春のめざめ』
2017年5月5日(金・祝)~23日(火) 神奈川・KAAT神奈川芸術劇場
2017年5月27日(土)~28日(日) 京都・ロームシアター京都
2017年6月4日(日) 北九州・北九州芸術劇場
2017年6月10日(土)~11日(日) 兵庫・兵庫県立芸術文化センター
[スタッフ]
原作:フランク・ヴェデキント
翻訳:酒寄進一
音楽:降谷建志
構成・演出:白井晃
[出演]
志尊淳、大野いと、栗原類
小川ゲン、中別府葵、北浦愛、安藤輪子、古木将也、吉田健悟、長友郁真、山根大弥
あめくみちこ、河内大和、那須佐代子、大鷹明良
公式ホームページ

筆者

米満ゆうこ

米満ゆうこ(よねみつ・ゆうこ) フリーライター

「三度の飯よりアートが好き」で、国内外の舞台を中心に、アートをテーマに取材・執筆。ブロードウェイの観劇歴は20年以上にわたり、ブロードウェイの劇作家トニー・クシュナーや、演出家マイケル・メイヤー、スーザン・ストローマンらを追っかけて、現地で取材をしている。

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