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「男女共用トイレ」にひそむ盗撮の危険性

「男女共同参画」という観点は貫かれるべきなのか

杉田聡

「男女共用トイレ」のイメージ拡大「男女共用トイレ」のイメージ
 報道によれば、2020年東京五輪・パラリンピック会場に「男女共用トイレ」が作られるという(朝日新聞2月26日付)。それは、「異性の介助者」や「LGBT」(性的少数者)に配慮した決定のようである。朝日新聞デジタル版を見る限り、共用トイレにはそれなりの工夫がされていると感じられる。

 だが一般に男女共用手洗い自体には大きな問題がひそむことを、ここで問題にしなければならない。というのは、「男女共同参画」の論理から、手洗いも男女の区別を設ける必要がないという意見を、実際に耳にしたことがあるからである。

 今回の「男女共用トイレ」の設置という話が、その内実が十分に知られないまま、共同参画の論理を介して、一般的な男女共用手洗いの話につながらないかと、私は若干の危惧を抱く。

「男女共同参画」と男女別手洗いの廃止

 私は、ある大都市の名望家で、その地域の男女共同参画計画に深く携わる、影響力の大きい女性を知っている。その人と、今日でも根強い男女の性別役割観について話をしていたとき、その女性が、「男女共同参画を実現するために、不要な男女の区別はいらない。手洗いも特に分ける必要はないと思う。男女ともに個室に入る形にすれば問題はない。私は手洗いを男女共用にするよう、□□に提案するつもりだ」、と話すのを聞いてギョッとしたことがある。

 日本で言う「男女共同参画」は、対外的には gender equality である。「男女共同参画社会基本法」(1999年施行)が制定された時期、自民党政府は「ジェンダー」という言葉を使わないよう指示したが(これは前代未聞のできごとである)、対外的には gender を用いつつ、国内的にはジェンダー平等を「男女共同参画」と表現するという二枚舌を使ったのである(杉田聡『「日本は先進国」のウソ』平凡社新書、86頁)。

 だが、男女共同参画のうちにジェンダー平等のための各種施策が含まれると考えるのは、その計画の担い手にとって当然である。だから、おのずと男女共同参画の観点から、ジェンダー平等のための施策・論理も出てこざるをえない。

 したがってそれは、男女間に伝統的に設けられてきた区別・役割を排そうとする姿勢を生まずにはおかない。しかし、男女共同参画の観点は、はたして手洗いに関しても貫かれるべきなのだろうか。

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

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