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[書評]『ゼロデイ』

山田敏弘 著

井上威朗 編集者

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私が大規模テロ事件の共犯になる「その日」の前に  

 社内でUSBメモリが落ちてた。拾う。持ち主がわかったら届けてやろう、あるいはちょっぴり覗いてやろう。そんな気持ちでデスクのPCに差してみる。何もなさそうなので拍子抜けするも、「まあいいか。メモリ1本分、得したしな」とフォーマットしてそのまま便利に使う。

……これでアウト! 気づかないうちにPCに入ったマルウェアが動作し、国家の基幹システムがハッキングされてしまう。その結果、列車脱線で死傷者多数、大停電で都市生活崩壊、さらには原子力施設が大爆発! カタストロフから生きのびても、きっかけを作った人物として特定され、すべてを失うハメに……。

 何を言っているのかとお思いかもしれませんが、ハッキングによる列車脱線も大停電も核施設爆発も、みんな実話です。いまや、「サイバー戦争」なるものが一般市民を巻き込んで展開し、世界各地で取り返しのつかない災厄をもたらしているのです。

 本書『ゼロデイ』は、そんな現実を、日本人著者が世界的スケールの取材を重ねて、みごとに書き切った歴史的著作といえます。

『ゼロデイ——米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(山田敏弘 著 文藝春秋) 定価:本体1500円+税拡大『ゼロデイ――米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(山田敏弘 著 文藝春秋) 定価:本体1500円+税
 ちょっと待て、俺は国家公務員でもないしインフラ関係に勤めているわけでもない。さすがに関係ないだろう。そんな感じで他人事に考えてしまう人こそ、まさにサイバー戦争の「兵士」であるハッカーたちにとっていいカモのようです。

 あなたの勤務先は、基幹設備を管理する会社の出入り業者かもしれません。あるいはその業者が使う機器の製造にかかわっているかもしれません。あるいはその機器製造会社の出入り業者かもしれません。あるいは……。あなたの使うデジタル機器がハッカーに侵入を許したら、芋づる式に国家中枢へとつながっていく可能性は大いにあるのです。

 なにしろ、サイバー攻撃から防衛する側も対策を重ねています。するとその上を行く攻撃側は、予想もつかない侵入ルートを開発するのに、莫大なリソースを注ぎこんでいます(本書によると世界で何兆円単位に達するようです)。その無数に研究されたルートの1つに、あなたのPCも含まれるかも、というわけですね。

 いやいや、防衛側も対策してるんでしょ。ウイルス駆除ソフトだって進化しているじゃないか。こう反論したくなる気持ちもありますが、本書のタイトル「ゼロデイ」の解説が、そんな希望をきれいに粉砕してくれます。

 ゼロデイ、というのは、まだ修正されていないコンピュータ・プログラム上の脆弱性のこと。どんどんデジタル化が進み、IoT(モノのインターネット)機器も普及している現在、プログラムは複雑化し増殖を続けています。そこで開発者もセキュリティ会社も、もちろんユーザーも知らないようなプログラムの欠陥が存在してしまう、というのです。

 そんなゼロデイ、もちろん危険な存在なので、たとえばアップル社は1個1億円で買い取るそうです。それだけヤバいならせいぜい数十個くらいしか存在しないでしょ、と思いきや、すでにものすごい数が発見されています。米NSA(国家安全保障局)が確保しているゼロデイだけでも、数千におよぶそうです。なぜか。サイバー攻撃は一度実行されると、そのやり方が解析されて同じ手は使えなくなります。そのため、情報機関は「誰も使ったことのない攻撃手段」となるゼロデイを、いつでも使えるようストックする必要がある、というのです。

 企業も国家機関もゼロデイを必死に収集している、となると、現れるのは「転売屋」です。野球を観に行きたい私に複雑な思いをさせるチケット転売屋とくらべると、そのビジネス規模たるやすさまじいものです。ゼロデイをハッカーから買い集めた企業は、必要としそうな国や機関、さらには犯罪グループにガンガン巨額で売りさばきます。米NSAだけでも、こうした転売屋、いや「サイバー武器商人」のために数百億円の予算を用意しているのです。

 もう暗澹たる気持ちになってしまいますが、著者の調査はこんなレベルにとどまりません。米国、ロシア、中国だけではなくイスラエルなど各国の当事者に取材を重ね、実際に「サイバー戦争」がどのように展開したのか、どんどん実例と背景を教えてくれます。冒頭にあげた核施設爆破など序の口ともいえる、多彩かつ深刻な破壊活動の歴史には、読んでいてただただ呆然とするばかりであります。

 そして、その破壊工作が生み出した最新の成果が、ドナルド・トランプ大統領だ。そう本書は指摘します。

 米紙「ニューヨーク・タイムズ」は工作の黒幕をロシアだと名指しする大型調査報道を展開して、先ごろピューリッツァー賞を受賞しました。本書著者もその記者や記事のネタ元を取材して、愕然とさせられる「トランプ大統領誕生の裏側」まで明らかにしています。

 こんな具合に、にわかには信じがたいレベルの重大事態が進行しているのに、2017年4月段階で本書が日本中の話題を席巻していないのは、何だかおかしな話です。

 ですが本書は、その事情についても言及しています。サイバー攻撃をおこなった側は絶対にシラを切るので、「こいつが犯人だ」と特定できず、だから反撃をする口実も生まれない。従って、サイバー戦争はどうしても地下に潜ってしまい、誰と誰がどんな理由で戦っているのか、世間の話題にならなくなってしまう……というワケです。

 新刊では全然売れなかったのに、あとになって世の中が変わったために話題の書になったりする、「早すぎた名著」を編集したことがあります。まあ売れるのなら先でもあとでもいいのですが、本書はそれではいけない気がします。

 日本がサイバー攻撃で破滅的なダメージを負い、そのうえ自分が攻撃の共犯になってしまったかもしれない。こんな事態になってから本書を買い求めるのは、さすがにヤバすぎるのではないでしょうか。本書を「早すぎた名著」にしないことが、日本の安全保障の確保にもつながるのではないでしょうか。

 以上、これまでにないスケールで本の宣伝をしてしまった気もしますが、本当に現代の必読書だと思います。『ゼロデイ』、ぜひ覚えていただければ幸いです。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

井上威朗

井上威朗(いのうえ・たけお) 編集者

1971年生まれ。漫画雑誌、Web雑誌、選書、ノンフィクション書籍などの編集を経て、現在はまたWeb雑誌にて書評を担当。手がけた企画は竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、本田透・堀田純司『メカビ』、斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』(第3回いける本大賞)、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』など。