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中川&今村騒動は安倍政権のゆるみではなく体質だ

人権意識の希薄さが、問題ある言動と行動を繰り返す

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

中川俊直衆院議員 中川俊直氏の騒動は単なる「女性問題」なのか?

 “女性問題”“不倫騒動”を理由に経済産業政務官を辞任した中川俊直衆院議員が、自民党を離党しました。不倫疑惑等を巡る週刊誌報道を受け、責任を取った形です。また、復興大臣だった今村雅弘氏も震災に関する不適切な発言をしたことで、事実上の更迭となりました。

 たび重なる政権内の不祥事に対して、各メディアでは「安倍一強による政権内のゆるみ・たるみ・緊張感の欠如が原因の一つではないか」という表現を使って報じています。

雰囲気がゆるんでいたらストーキングをするのですか?

 ですが、私はそのような表現に強い違和感を覚えるのです。一般的に考えて、政権の雰囲気がゆるんでいたから、中川氏が報じられたように、警察官から注意を受けるようなストーキングをしたのでしょうか? またダブルウェディングとも取れるような行為をしたのでしょうか? もしくは今村氏のように「(震災が東京ではなく)東北で良かった」と発言したのでしょうか?

 もちろん、雰囲気がゆるんでいようがたるんでいようが緊張感が無かろうが、まともな人間性や一般的な倫理観を持ち合わせていれば、そのようなことはしないはずです。つまり、2つの不祥事を起こした要因は、雰囲気のいかんに関係無く、所属先にも関係無く、彼等自身の人間性や倫理観の問題ではないでしょうか。

 基本的に「ゆるむ、たるむ、緊張感が欠如する」というのは、任されている仕事を全うしない姿勢や、法を侵さない範囲でハメを外すことを指すものだと思うのです。たとえば、委員会の途中に居眠りしたり、任務をサボタージュすることを、「ゆるんでいる!」と指摘する場合に用いる分には適切と言えるでしょう。

 ですが、ストーキングをすることや、「東北で良かった」という発言は、もはや仕事を全うしないというレベルではなく、人としてやってはいけないことや言ってはいけないことです。そのため、「ゆるむ、たるむ、緊張感が欠如する」という表現では、その批判として「軽過ぎる」のではないでしょうか。

臭いものに蓋をしていては何も変わらない

 ところが、自民党幹事長を務める二階俊博氏もこれらの離党や辞任に関して、「(政府与党内の)気を引き締める」という発言を度々しています。雰囲気がゆるんでいるから引き締めるということなのでしょう。

 その後、実際に党執行部は、比例代表で復活当選した議員に、ゴールデンウィーク中の海外出張を原則禁止することを決めました。二階氏は関連性を否定しているものの、自民党関係者からは、当選回数の少ない若手議員に対する引き締め策の一環だと憶測する声が上がっているようです。

 でも、引き締めたところで、本当に問題は解決するのでしょうか? 確かに雰囲気が引き締まれば、不祥事や失言の数は一時的に減るかもしれません。でもそれは、単に「臭いものに蓋」をしているだけだと思うのです。

 臭いもの自体をどうにかしない限り、ずっと臭いものであり続けます。引き締めるというのは形だけ表に出るのを抑制しようという発想であり、決して「ソリューション」ではありません。あくまで「その場しのぎ」に過ぎないのです。「課題認識」「課題の検証」「課題解決」等をしっかりとしない限り、本質的には何も変わらないでしょう。

相変わらず被害者を無視している

 では、「臭いもの」とは何なのかと言えば、やはり「人権を侵害することへの罪の意識の欠如」です。要するに、「何が悪いことで、誰が被害者か」ということへの理解がありません。

 中川氏の報道があって以降、「ストーキングが本当だとすれば、それは人権を侵害する罪であり、逮捕には至らなかったとはいえ、決して許されるべきではない!」と中川氏の行為自体を非難する声は、私の知る限り聞こえてきませんでした。あくまで「議員としてあるまじき行為だ!」という類のものばかりです。仕方のないことかもしれませんが、議員辞職に追い込みたいと考えている野党もその点ばかり強調します。

 性的暴行等で芸能人が逮捕された際に、「(コンビの)相方の気持ちも考えるべきだ!」「関係者(スポンサー)にどれだけ迷惑をかかることをしたと思っているのか!」という批判があがることに対して、被害者を蔑(ないがし)ろにしているという指摘はこれまでもしましたが、今回もこれと同じで「被害者スルー」ではないでしょうか?

連載 学校の制服はもう廃止しよう  [4]芸人の制服窃盗事件に見る被害者の軽視

自民党は乙武氏不出馬の事例から学んでいないのか

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