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路上のヘイトスピーチと闘った泥憲和さんのこと

中沢けい

拡大「建国記念の日」を考える集いで講演する泥憲和さん=2015年2月、津市
 憲法記念日の早朝、姫路の泥憲和さんが亡くなった。御子息が泥さんのフェイスブックに書き込みをされていた。「SNSで報告するのも、如何かと思ったのですが、父らしくていいですよね」とあった。数日前にお加減が悪く入院中だと、やはり御子息の報告があったので、いかがな具合であろうかと心配していたところの訃報だった。享年64歳。泥さんは深い年の取り方をしていた。それを思うと「まだ若い」と嘆くのも失礼な気がする。

 大阪の十三でタクシーを拾い、西成までお送りしたのはいつのことだったか。タクシーの運転手さんが「えらいところからえらいとこまで行きはりますなあ」と嘆息した。十三の「あらい商店」でお喋りをしていたら、電車もない時間になっていた。泥さんとのお話は当意即妙で時が過ぎるのを忘れる。お泊まりは西成のホテルに予約が入っているとのことで、天王寺へ戻る道すがらにお送りした。車は淀川の暗い流れを越える。大阪の町を北から南へと縦に切るようにして西成の旅館の前でお別れしたのが最後になってしまった。

元自衛官、安保法制反対の街宣に飛び入りでマイクを握る

 泥憲和さんのことが世の中に広く知られるようになったのは2014年6月30日に神戸・三宮で行われた安保法制反対の街宣に飛び入りでマイクを持った演説からだ。「私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました」と名乗り、「 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね」と情理を尽くして安保法制反対と説くこの演説はツイッターやフェイスブックを通してたちまちのうちに全国に知られるところとなった。若者がたどたどしい街宣を一生懸命にやっていたので、思わずマイクを借りたのだそうだ。7月28日には東京新聞が1面トップで泥さんを紹介した。見ず知らずの若者からマイクを借りての演説は、文字起こしされ、今も多くの人に読まれている。

 この年の3月、泥さんは医師からガンで「余命は1年」と告げられた。診断を受け泥さんは長年、勤務した法律事務所を定年延長せずに退職し余命を社会運動に使うと、御家族の了解を得たそうだ。ヘイトスピーチ街宣を繰り返す行動保守と呼ばれるグループに単独で抗議している人がいるのは、 ・・・続きを読む
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筆者

中沢けい

中沢けい(なかざわ・けい) 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

1959年神奈川県横浜市生まれ。明治大学政治経済学部政治学科卒業。1978年「海を感じる時」で第21回群像新人賞を受賞。1985年「水平線上にて」で第7回野間文芸新人賞を受賞。代表作に「女ともだち」「楽隊のうさぎ」などがある。近著は「麹町二婆二娘孫一人」(新潮社刊)、対談集「アンチ・ヘイトダイアローグ」(人文書院)など。2006年より法政大学文学部日本文学科教授。文芸創作を担当。

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