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[書評]『異郷のモダニズム 満洲写真全史』

竹葉丈 編著

野上 暁 評論家・児童文学者

戦時下プロパガンダとしての写真とグラフィズムの変容  

 日清戦争に次いで日露戦争に勝利した日本は、1906(明治39)年に南満洲(州)鉄道株式会社(満鉄)を設立して、本格的な植民地経営に乗り出した。満鉄は、内地の国民に満洲の存在と意義を伝えるには、写真が重要だとして、日本人写真家を登用していく。それは、日本近代が満洲よりさらに西の地域を含めた「満蒙」へ抱いた幻想を視覚化するもので、満鉄はそれを事業化し、啓蒙の役割を担ったのだった。

『異郷のモダニズム 満洲写真全史』(竹葉丈 編著 国書刊行会) 定価:本体3500円+税拡大『異郷のモダニズム 満洲写真全史』(竹葉丈 編著 国書刊行会) 定価:本体3500円+税
 内地への宣伝を事業化し組織化したのは、満鉄総裁室嘱託の高柳保太郎である。シベリア出兵時に「弘報班」を設置した経験から、「弘報」=publicityの重要性を説き、1923(大正12)年、満鉄に情報係と弘報係を設置したのだという。

 始めのうちは、内地では見られない満蒙及び大陸の風物を紹介する記録的な表現に過ぎなかった写真が、1932(昭和7)年の「満洲国」建国前後からは、絵画的な表現が重用されるようになっていく。

 「真」を「写」す、と表記するように、写真芸術の価値は、「厳然たる事実をリアルに再現するところ」にある。それをさらに突き詰め、直接的な現実描写を超えた「画面構成の美観と内感の豊かさ」を求めたのが、神戸から満鉄総裁室弘報課嘱託として招かれた淵上白陽の、絵画主義的表現による写真であった。

 淵上の写真は、大陸の自然や人々の生活に取材しながら、「満洲で見た光景をミレーやコローといったバルビゾン派の画家たちが描いた作品になぞらえ」、「大陸の風景にある種のセンチメンタリズム(郷愁)を持ち込んでいる」と著者は言う。全てモノクロ写真だが、粒子を荒くしたり全体を柔らかく墨絵のように表現したりした独特なプリント技術と大胆な構図が、まさにバルビゾン派の絵画のようで郷愁と哀感をそそる。

 「満洲国」建国の翌年、「新興満洲の実情報道の達成を目的」として、満鉄は『満洲グラフ』を創刊する。淵上ら弘報課のメンバーはその編集にあたり、ソビエトのグラフ雑誌「CCCP」に学びながら「建設」と「開拓」のグラフィズムを展開する。写真に斬新なデザインが加わり、プロパガンダとしての政治的な有効性が加味されてくるのだ。

 1940(昭和15)年は、満洲を巡る写真表現が大きく転換した年だったと著者は言う。内地の写真雑誌『フォトタイムス』が「大陸特集号」を刊行する。名取洋之助が主宰する国際報道工芸新京支社が、関東軍報道部の出資で、対外宣伝グラフ雑誌『MANCHOUKUO』と、満鉄企画編集による『EASTERN ASIA』を、どちらも季刊で同時創刊する。

 また、満洲国国務院弘報処は、大陸で増えたアマチュア写真家や、企業や各機関にできた写真家グループを弘報のために活用しようと、「登録者新制度」を制定する。そこで必要とされたのは、写真家の個性や表現力ではなく、写真機そのものであり、国家のために有用として登録された作品は、対外宣伝資料などに利用された。こうして満洲における写真表現は、官僚によって主導され、「躍進する満洲」を喧伝するものとして展開されていった。

 日本内地での写真表現も大きく変わっていく。宣伝効果を上げるために、写真多用の先陣を切ったのは、国際観光の分野だったという。1930(昭和5)年、鉄道省国際観光局は『TRAVEL IN JAPAN』や『TOURIST LIBRARY』を刊行し、斬新な写真を駆使したモダンなレイアウトによって、国策としての観光客誘致と外貨獲得に期待を寄せた。1934(昭和9)年には名取洋之助の『NIPPON』も創刊される。

 写真利用が、何らかの目的を持つということは、容易に時局に取りこまれていくことを意味する。最初は国際的に通用する日本のイメージを海外に宣伝するものだったが、次第に、国策にそった国力や軍事力の誇示に傾斜していく。

 日本占領下の上海にプレス・ユニオン・フォトサービス社を設立した名取は、1939(昭和14)年刊行の『CANTON』以下、カモフラージュされた親日メディアの発行を引き受ける。1942(昭和17)年刊行の『FRONT』には、原弘がグラフィックで、濱谷浩や菊池俊吉が写真で参画し、戦時宣伝に活用される。写真をはじめとするグラフィック表現は、戦時下では敵対宣伝や戦争目的や戦力を誇示する手段とされるのだ。

 政治目的で写真を使い、フォトモンタージュの手法や、量や偉大さを強調する構図法などで宣伝効果を高めるのは、ソ連の社会主義政権が駆使した大衆操作の技法であり、ナチスドイツの宣伝にも活用された。写真にグラフィックデザインが加わり、戦時下のプロパガンダとしての圧倒的な効果が期待されたのだ。

 いま見ても斬新で訴求力のある誌面作りには、若き日の名取洋之助を始め、濱谷浩、木村伊兵衛らのちに日本写真史を担う写真家や、東京オリンピックのポスターで一躍名をはせた亀倉雄作や、原弘といったグラフィックデザイナーが参画していた。それが対外的には国威発揚、国内的には戦意高揚のために利用されたという事実は忘れるわけにはいかない。

 わずか四半世紀の満洲写真全史ではあるが、掲載された300点を超える豊富な写真資料を見るだけでも、その間の社会情勢の変化に伴い写真表現がどのように変容していったか、またカラーで紹介されるグラフ誌の表紙デザインや本文レイアウトから、この時代にグラフィックデザインの世界も大きく変わったことがわかる。

 マンガやアニメも、戦時下のプロパガンダとしての必要性から、技術的に大変革を遂げた。このこととあわせて考えると、戦争とメディアの問題については深く考察すべき課題が多々残されている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

野上 暁

野上 暁(のがみ・あきら) 評論家・児童文学者

1943年生まれ。本名、上野明雄。小学館で子ども雑誌、児童図書、文芸書、学術書などの編集部門を担当。著書に『おもちゃと遊び』(現代書館)、『「子ども」というリアル』『日本児童文学の現代へ』(ぱろる舎)、『子ども学 その源流へ』(大月書店)、『越境する児童文学』(長崎書店)など。編著に『わたしが子どものころ戦争があった――児童文学者が語る現代史』(理論社)、『子どもの本ハンドブック』(三省堂)、『いま子どもに読ませたい本』(七つ森書館)など。日本児童文学学会会員。日本ペンクラブ常務理事。