祖父、十一代目團十郎も果たせなかった「静かなる革命」
2017年07月20日
2017年7月3日、歌舞伎座は「七月大歌舞伎」の初日を迎えた。
そうしたら、6月23日のあの悲報となった。
チケットを買った日とはだいぶ状況が変わり、「市川海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、実質的な新作の通し狂言をやる」という歴史的意義よりは、4歳の長男・堀越勸玄君が史上最年少で宙乗りをすることに話題は集中していた。
勸玄君については、すでに洪水のように報じられている。
初日に客席にいた者としては、そこには湿っぽさは微塵もなく、人びとは、何か浄化される思いとなり、幸福感に満ちていたと、伝えておく。
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初日が無事におわり、毎日のように公演は続き、12日、日本歌舞伎史上の大事件が起きた。歌舞伎座で「夜の部」がなかったのだ。
と言っても、役者の誰かが急病で倒れたとか、劇場に事故があったわけではない。
最初から、12日は昼の部だけの興行で夜の部はなかったのだ。同様に、このあと19日は昼の部が休演となる。
何かが起こればニュースだが、「何もなかった」のはニュースにはならないので報じられなかったが、これは実は大事件なのだ。
歌舞伎座は、おそらくこの規模の劇場としては世界で最も稼働率の高い劇場だ。
毎日11時から3時頃まで「昼の部」、4時か4時半から9時頃まで「夜の部」が上演され、原則として「25日間」、休むことなく昼夜の公演が続く。昼と夜はまったく別の演目だ。
これは歌舞伎座だけでなく、松竹による歌舞伎公演はみな昼夜・25日間を基本としている。
なかには昼夜とも出ずっぱりの役者もいるから、体力的にも精神的にも負担はかなり重いだろう。裏方のスタッフも、休みはない。
松竹としては休演日を設ければ収入減となるので、休みたくない。昼の部か夜の部のどちらかを休めば、チケット代だけで約3000万円の減収となり、弁当や食堂、お土産屋の売上も減る。そのため、ずっと昼夜2部制・25日間興行が伝統となっていた。
だが半世紀前、この昼夜2部制に異議申し立てをした役者がいた。海老蔵の祖父、十一代目團十郎である。
しかし、他の役者たちは、松竹に気兼ねしたのか十一代目に同調せず、彼は孤独な闘いを強いられ、結局、この体制は維持され、團十郎は1965年に胃ガンとなり56歳で亡くなった。
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