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[書評]『敗者の想像力』

加藤典洋 著

今野哲男 編集者・ライター

息の根を絶たれた「終わらない戦後」から、「新しい戦後」へ

 別に具体例を挙げるまでもないだろうが、いま、日本の多くの人々が、自分たちの国の支配層と社会とが、安倍晋三氏お気に入りの言葉を使って皮肉混じりに言えば、凄まじいまでの「スピード感」をもって劣化し続けていると感じている。本書の著者・加藤典洋は、以前から一貫して、それに通じることを明言して憚らなかった論客の一人だ。

『敗者の想像力』(加藤典洋 著 集英社新書) 定価:本体780円+税拡大『敗者の想像力』(加藤典洋 著 集英社新書) 定価:本体780円+税
 彼は、デビュー作『アメリカの影』(河出書房新社、1985年)以来、その10年後の1995年には、「敗戦後論」で左右双方の論壇――当時はまだそういう言い方が生きていた――に論争の風を巻き起こし(書籍化は『敗戦後論』/講談社、1997年)、一方では『日本の無思想』(平凡社新書、1999年)、『村上春樹論集』1・2(若草書房、2006年)、『文学地図――大江と村上と二十年』(朝日選書、2008年)、『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて』(岩波書店、2010年)などの著書で、サブカルチャーを含む多様な観点から、日本の「近代」と「戦後」を問い、その乗り越え方を探り続けてきた。

 その加藤が、本書の冒頭でこう説く。

 戦後的な土壌は、いま日本でその息の根を絶たれようとしている。しかし、その死を見届け、それを自分の問題として引き受ける世代が現れれば、やってくるものは、新しい戦前ではなく、新しい戦後となる。

 そのとき、敗者の想像力は、未来への一つの入り口ともなるだろうと、私はそう考えている。

 では、新しい戦前ではなく、あたらしい戦後となすために言明される「敗者の想像力」とは一体何か。加藤はとりあえず、それは「敗者が敗者であり続けるうちに、彼のなかに生れてくるだろう想像力のことである」と言うが(「はじめに 想像力にも天地があること」)、予め定義して示せるようなスタティックな実体は示さない。

 これは「考えたことを書く」だけではなく「書くことによってより深く考える」ことをスタイルとし、自らの予断から極力自由であろうとする著者が貫いてきた、独特の手慣れたやり口であり、だから本書は、加藤の頭に浮かんだ「敗者の想像力」という言葉を手掛かりに、その実体を随所に探し求めるようにして、スリリングに展開するのである。

 その一見まだるっこしい方法こそが、「出世」や「経済成長」や「進歩」に拘泥してきた「日本の戦後」に欠けていたもので、だから「新しい戦後」を招来する希望にもつながるのだ、とでも言わんばかりに――。

 結論だけを先に言うと、その探求の行き着いた先は、「戦後民主主義の申し子」と見做されてきた作家・大江健三郎が、被告の立ち場で闘った「沖縄『集団強制死』裁判」との関わりを媒介に、同時期に執筆された大江の小説『水死』論が展開される、「終わりに 『水死』のほうへ――大江健三郎と沖縄」と題する最終章に示されている。

 加藤はここで、裁判の進み行きと小説の中身とを絡め、尋常ならざる力を込めてこう言う。――誰が、そう大江を批判し、糾弾しているのか。むろん、それは曽野綾子や徳永信一(大江を告発した裁判の原告側弁護士――筆者注)の輩ではない。そう大江を批判し糾弾しているのは大江自身だ。大江は、あの証言台で、愚劣な批判者によるタワゴトのむこうに、彼らもあずかり知らない、この声を聞いたのである――と。

 「この声」の中身についてはネタバレになるから、「自己否定」とだけ明かして、具体的には伏せておこう。代わりに、冒頭の安倍晋三的「スピード感」に深いところから異議を申し立て、最終章の大江なりの「沖縄」にも関連する言表を、「はじめに」から、もう一つだけ紹介する。まず加藤の本文、次に中村秀之『敗者の身ぶり――ポスト占領期の日本映画』(岩波書店、2014年)からの引用、最後にもう一回、加藤の本文と続く。

 中村によると、(作家の――筆者注)山田風太郎は(サンフランシスコ平和条約発効の――同)三週間前、一九五二年四月八日の日記に、こう書いている。
 
  独立の暁は――などというが、日本は独立などできないのではないか、講和条約は発効しても、行政協定が新に結ばれたではないか、自由未だ遼遠なり。

 同じく中村は引用に続け、こう述べている。

  事実、四月二八日に発効したのは平和条約だけではない。(中略)日米安全保障条約も、(中略)日米行政協定(同年二月調印)も、同時に発効したのである。そのとき日本政府は、占領終結後も自国内に米軍が駐留することを認めただけでなく、その米軍関係者に対する裁判権も実質的に放棄することになった。(中村、前掲)

 こういう文章を読むと、不思議な気がするのも、戦後が七〇年以上も続いて終わらないからである。(中略――筆者)状況は本質的に一九五二年四月から何も変わっていない。ただ一つ違うのは、もう沖縄以外では、誰も、そんなことを気にしていない(斜体――同)ことである。

 「終わらない戦後」を「沖縄以外では、誰も、気にしていない」国、日本――。そのことに粘り強くこだわってきた加藤の持続する思索の旅の、稀な本物ぶりを理解するのに有益な最近の本を、最後にもう2冊、紹介しておく。(1)『戦後入門』(加藤典洋著、ちくま新書、2015年)。(2)『沖縄からはじめる「新・戦後入門」』(飢餓陣営せれくしょん、言視舎、2016年)。あわせて、お薦めしたい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

今野哲男

今野哲男(こんの・てつお) 編集者・ライター

月刊『翻訳の世界』編集長を経てフリーに。「光文社古典新訳文庫」に創刊以来かかわり、また演劇体験をいかして『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』全4巻(藤原書店)を編集。ライター、インタビュアーの仕事に、鷲田清一『教養としての「死」を考える』、吉本隆明『生涯現役』、木村敏『臨床哲学の知』(以上、洋泉社)、飯沢耕太郎『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など。現・上智大学非常勤講師。