2017年08月02日
ここでは、主人公の一人ミシェル・ジェルジンスキの視点から、パレゾーの町のSF映画的光景が比喩として記述されるだけだ。しかし、読み進めていくと、『素粒子』は異形のSF小説でもあることが明らかになる。
すなわち、『素粒子』の主題のひとつが、遺伝子操作による知的生命体の創造(クローニング)であるばかりか、本作の語り手は、なんと2200年代を生きる、人間によって人工的に創造された新たな知的生命体であることが、ラストで告げられるのだ(その時点では人間/人類はすでに滅亡している)。作中の時間を未来にまで拡張するSF的発想である。そしてそれは、のちの『ある島の可能性』、『地図と領土』、『服従』までを貫いているが、ではなぜ、ウエルベックはSF的構想を好むのか。
SFこそは、社会の大きな変動、ないしは文明の興亡を、終末論的ヴィジョンとともに長いスパンで描き出すうえで、もっとも効果的なジャンルだからである。とりもなおさず秀逸なSF小説とは、今現在の現実を未来に延長させ、風刺的・空想的に変形させることで――リアリズム小説とは異なる手法で――かえって人間や社会の実態をリアルに、あるいは戯画的・寓意的に描きうるジャンルだといえる。
そうしたジャンルの古典には、ジョージ・オーウェル『1984年』『動物農場』、オルダス・ハックスレー『すばらしい新世界』などなどの、反ユートピア/ディストピア小説があるが、ウエルベックの小説にも、ディストピアのモチーフは顕著だ。『素粒子』に登場するディストピアは、前記「変革の場」であるが(同131頁以降)、それは前述の『ある島の可能性』に登場したラエリアン・ムーブメントのような、東洋神秘、ヨガ、瞑想、占星術、タロットカード、火の修行、フリーセックスといった1960年代ドラッグ・カルチャー/ニューエイジ系のアイテムを掲げる、「無限の自由の謳歌」を目指す“ユートピア”的コミューンだ。
そしてむろん、性愛における無限の自由が追求されるはずの「変革の場」は、実際には優勝劣敗(とくに若さの優越)の法則が支配する過酷な性的競争の闘技場=ディストピアである。
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