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[21]再び「子殺し」「親殺し」考『晩春』14

末延芳晴 評論家

世間的な慣行に従って行われる神話的悲劇

 月丘夢路のまえで、原節子がほとんど無意識で、無邪気であるがゆえに、残酷な「父殺し」を執行しているときに、笠智衆と杉村春子は、笠の家の居間で向かい合って座り、原が帰ってくるのをまちながら、タバコをくゆらせ、見合い相手の「佐竹熊太郎」の「熊太郎」という名前について語り合っている。

 「あれで、紀ちゃん、つまンないこと気にしてんじゃないかしら」
 「何?」
 「名前、佐竹さんの」
 「佐竹熊太郎か」
 「ウン、熊太郎」
 「いいじゃないか熊太郎、強そうで……そりゃお前の方がよっぽど旧式だよ、そんなこと気にしてやいないよ」
 「だって、熊太郎なんて、なんとなくこの辺(と胸のあたりををさして)モジャモジャ毛が生えているみたいじゃないの。若い人、案外そんなこと気にするもんよ。それに紀ちゃんが行くでしょう? そしたら、あたし、なんて呼んだらいいの? 熊太郎さァんなんて、まるで山賊呼んでいるみたいだし、熊さんて云や八っつぁんみたいだし、だからって、熊ちゃんとも呼べないじゃないの?」
 「うむ。でも、なんとかいって呼ばなきゃ仕様がないだろう」
 「そうなのよ、だからあたし、クーちゃんて云おうと思ってるんだけど……」
 「クーちゃん?」
 「ウン、どう?」

 と、そこに、玄関の戸が開き、原節子が、冷たい声で「ただいま……」と帰ってくる。

【写真1】拡大【写真1】 「だって、熊太郎なんて、なんとなくこの辺(と胸のあたりをさして)モジャモジャ毛が生えているみたいじゃないの。若い人、案外そんなこと気にするもんよ」と、心配する杉村春子=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(【写真2】~【写真4】も同様)
【写真2】拡大【写真2】 「いいじゃないか熊太郎、強そうで……そりゃお前の方がよっぽど旧式だよ、そんなこと気にしてやいないよ」と、杉村をたしなめる笠智衆

  慌てて、杉村は、髪の毛をつくろうふりをしながら、「お帰んなさい」と挨拶するが、原は挨拶を返すこともなくそのまま2階に上って行ってしまう。杉村は坐ったままそれを見送り、「どうなんだろう」と心配そうに立ち上がり、「あたし、聞いてくるわね」と言って、2階に上って行く。

 2階では、原が外出着を脱ごうとしている。そのうしろから杉村が、「あのウ、この間の返事ねえ―」と、声をかけると、原は杉村から逃げるように、タンスから衣紋掛けを取ったり、廊下に出て、脱いだ衣服にブラシをかけたりするが、杉村はそのあとを纏(まと)いつくように追いかけ、「どうだろう……考えといてくれた?」と執拗に畳みかけ、原は、ついに逃げ場をうしなったように椅子に腰かけてしまう。

 そして、フリーズしたように上半身を前かがみに固定させ、目線を一点に定め、観念したように叔母の手によって「娘殺し」の斧が振りされるのを待ち受ける。

 このシーンで重要なことは、 ・・・続きを読む
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筆者

末延芳晴

末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家

1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」