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[書評]『忘れられた皇軍兵士たち』

樋口健二 著・写真

西 浩孝 編集者

「皇軍」は人間をどのように扱ったのか  

 樋口健二の著書に、『売れない写真家になるには』(八月書館、1983年)というのがある。四日市公害、旧日本軍毒ガス製造工廠・大久野島(広島県竹原市)、そして原発被曝労働者。これらはそれぞれ『四日市』(六月社書房、1972年)、『毒ガス島――大久野島毒ガス棄民の戦後』(三一書房、1983年)、『原発 1973年-1995年』(同、1996年)などの写真集にまとめられているが、まこと「売れない」テーマで撮り続け、写真家としてまた生活者として、辛酸を嘗めてきたと言ってよいだろう。

 しかし、日本列島を歩き回り、長い時間をかけて社会の暗部を「見て、見て、見続ける」ことによって、樋口健二の仕事はまぎれもなく歴史に残るものになった。本書もそのひとつである。

『忘れられた皇軍兵士たち』(樋口健二 著・写真 こぶし書房) 定価:本体2000円+税拡大『忘れられた皇軍兵士たち』(樋口健二 著・写真 こぶし書房) 定価:本体2000円+税
 日本がGNP世界第2位の華々しい経済成長を遂げつつあった1970年代初頭、その繁栄の裏側で、かつて天皇の名の下に戦争に駆り出され、負傷し、あるいは精神に障害を負って帰還した多くの「傷痍軍人」たちは、巷に放り出されたまま、誰からも顧みられることはなかった。

 この当時、傷痍軍人は全国で約13万人。症状により12段階に分けられ、大別すると増加恩給受給者(重傷者)5万7077人、傷病年金受給者(軽症者)7万2334人であった。

 樋口健二は、1970年から72年にかけての3年間、国立療養所箱根病院、国立武蔵療養所(東京都小平市)や国立下総療養所(千葉県千葉市)で彼らを取材する。

 箱根療養所には脊髄を損傷し歩行ができなくなった重症患者25人が、武蔵療養所と下総療養所には戦場で心を病んだ元兵士たちそれぞれ94人、73人が収容されていた。彼らのなかで撮影を拒否する者はだれもいなかった。病院の対応も好意的だった。見舞う人はほとんどいない。それゆえにか、かつての皇軍兵士はみな人なつこかった。取材のお礼に写真を送ると、全員から礼状が届いた。

 本書はこのときに撮った写真を中心に、2006年に再取材、そして新たに国立ハンセン病療養所多摩全生園(東京都東村山市)と傷痍軍人東京療養所(東京都清瀬市)で追加取材したものを加えて成っている。

 箱根療養所の病室で、「勲八等白色桐葉章」(等級では一番下、現在は廃止)の勲記を持ち、正面をまっすぐ見据えて写真におさまった男性は、「天皇のためお国のためだと、なぐられ、けられして、国のためにつくしてきた。見て下さいよ! 手柄を立て、勲章をもらったが何の効力もない」と涙ぐみながら語ったという。この写真のすこし後(すぐ後ではない)に、同じ男性が、布団の上に並べた勲章を、腕を組みながら苦しげに見つめるショットが挿んである。巧みな構成だ。複雑な感情が、この2枚の写真のあいだの距離によく表現されている。

 「毎年、一人くらいは死んでゆくんです。二人亡くなったこともあります。その患者の奥さんや付き添いの人が介護もしていた。死亡すると、同居していた家族はここに居られないという決まりがあり、三日の内に施設を出なくてはならん。知人などを頼りに出て行くわけだが、そりゃひどいものでした」

 2006年の再訪時に、箱根療養所でただ一人の生存者となっていた元兵士(91歳)が、身体の不如意を押して、筆談を交えながら語った内容である。皇軍が戦中のみならず、戦後も人間をどのように扱ったのか。社会から疎外されながら、それでもなお必死に生きてきた人々の姿、その無言の告発が、本書には満ちている。

 武蔵療養所や下総療養所では、個室に閉じ込められ、半日も同じ場所に立ちつくしていた人、カメラに向かって直立不動で挙手の礼をした人がいた。これは「忘れられた皇軍兵士たち」を伝える象徴的なシーンに違いない(後者の写真は本書のカバーに使用されている)。

 だが一方で、比較的軽症の患者は農作業や工作にいそしんでおり、樋口はそうした様子も丁寧にとらえている。食事、散髪、入浴、将棋などの娯楽。対象に肉薄して個々人の顔をクローズアップしながらも、そのような日常的な一コマをうまく織り込むことで、風通しをよくし、人間を一色に染め上げない視線がある。「深さ」というよりもむしろ「広さ」を感じさせる写真群だ。

 2005年の時点で、傷痍軍人の数は5万1692人。旧箱根療養所の建物は取り壊され、2006年現在で武蔵療養所には一人、下総療養所でも二人が病床に伏しているだけになっていた。当人の認知症や個人情報保護法を理由に病院から面会を断られた樋口は、「彼らのその後の人生を見届けてはいないのが、私には悔やまれてならない」と書く。

 これが写真家としての樋口健二の基本姿勢である。1970年代に雑誌に写真を持ち込んだ際、編集者から「これからは明るい時代だ。こんな暗い内容の写真はやめた方がいい」と言って掲載を断られたというが(東京新聞2017年8月28日付インタビュー記事による)、樋口は彼らのことをけっして忘れることはなかった。

 樋口健二の肩書きは「報道写真家」である。時代のなかで隠蔽・黙殺されている出来事の目撃者、証言者たらんとすること。これ以上ふさわしい肩書きを、わたしは知らない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

西 浩孝

西 浩孝(にし・ひろたか) 編集者

1982年、富山県生まれ。現在、長崎市在住。2016年9月まで大月書店編集部に勤務。これまで編集した本に、藤井貞和『言葉と戦争』、宮地尚子『傷を愛せるか』、アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』、代島治彦『ミニシアター巡礼』、鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民―あらたな歴史をきざむ民―』、NHK取材班『あれからの日々を数えて―東日本大震災・一年の記録―』、青木深『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958―』など。