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[書評]『蔵書一代』

紀田順一郎 著

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

大蔵書家、“一世一代”の本

 著者の紀田順一郎さんは、書誌学をはじめとした博覧強記の方で、おそらく日本有数の蔵書家だった。と、とりあえずは「過去形」で書かねばならないのは、80歳にして、3万冊の本を古書市場に手放してしまったからだ。この読書界・出版界における“一大事”の顚末と、「蔵書」とは何かという、読書人にとっての難問を探ったのが本書である。

『蔵書一代——なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(紀田順一郎 著 松籟社) 定価:本体1800円+税拡大『蔵書一代――なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(紀田順一郎 著 松籟社) 定価:本体1800円+税
 家中、足の踏み場もないほど本を山積みにして、どこに何があるかもわからない状態(本書によれば、それは「蔵書」ではなく単なる「紙束の堆積」)で居直っている私なんぞが、稀代の蔵書家の著書を紹介するのも僭越至極なのだが、増え続ける本に悩み、恐怖し(あるいは恍惚としている?)蔵書家・読書家必読の書として、強く推めたい。

 本を処分できない者にとっては、他人の蔵書にまつわるエピソードは本来楽しい。まあ、同病相哀れむ、いや、「病気自慢」を聞いているようなものかもしれないが。草森紳一さんの『随筆 本が崩れる』(文春新書)では、脱衣所に積み上げた本が崩れて風呂から出られなくなったり、電話がかかってきても本をかき分けて受話器までたどりつくのに時間がかかり、たびたび呼び出し音が切れてしまうというエピソードに笑ったものだ(草森さんはこの手のネタをまだまだお持ちのようだったので、続編執筆のご相談で電話をしたことがある。その時はわりとすぐ電話をとられたので、こちらからかけておいてなんだが、「あ、わりと早く出られましたね」「いやあ、ちょうど電話の近くにいたものでね」なんて言葉を交わしたりした。それからまもなく亡くなられたのは残念でならない)。

 しかし本書は、軽妙なくだりもあるとはいえ、深刻かつ重い。なにせ、背表紙には「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」とある。

 紀田さんが本の処分を決めたきっかけは、奥様が大ケガをして、バリアフリーの住居への移転を余儀なくされたことだった。このころ、「恥辱」とさえ受け止めたという彼女からの言葉はここではあえて伏せておくが、「紙束」に埋もれている私には、いたたまれなかった。

 本を手放す<永訣の朝>、12畳の書斎と10畳半の書庫から、2日間延べ8人のアルバイトが動員され、4トントラック2台が遠ざかるのを眺めながら、著者は路上に俯(うつぶ)せに倒れ込んでしまう。起き上がったものの再度倒れ、やっとのこと「主=書物なき家」に戻るくだりは痛切だ(本を紙くずのようにゴミ箱に捨てるような輩には理解不能だろうが)。

 この、おそらく人生最大の痛恨事で、紀田さんは身体に変調をきたしたようなのだが、ここから蔵書とは何なのかという命題を考えるに至る。

 明治・大正期から円本ブームを経る戦前の蔵書事情、そして日比谷の図書館や厖大な蔵書を抱えていた江戸川乱歩が戦中いかに本を避難させたかの詳細はスリリングでさえある。とはいえ、空襲で失われた本がいかに多かったことか。蔵書の最大の敵は戦争なのだ。そして戦後、一般の「蔵書」に大きく貢献した文学全集の相次ぐ刊行、そしてバブル期の後、90年代後半以降の古書店や図書館の変遷は、そのまま出版界そのものの危うい歴史でもある。

 それにしても、多くの蔵書家、読書家、愛書家が厖大な手間と費用をかけた「資産」を、経済的理由やスペース難で手放さなければならないという理不尽。このあたり、行間に紀田さんのやるせなさがにじむ。

 そもそも「諸悪の根源」は、地価が高く、蔵書に十分な住宅の確保が難しいことにある。加えて地震国ゆえの耐震性という制約。では、個人で本を持つことができなくなったらどうするか。

 かつては図書館への寄贈、古書店への出品という方法があった。だが、図書館は昨今の予算減とスペース難で寄贈をなかなか受け入れなくなった。利用者に閲覧されない本には冷淡になっている(京都市の図書館は、桑原武夫の寄贈本1万冊を「利用が少ない」という理由で遺族に無断で処分したという!)。古書店もかつては電話1本で引き取ってくれたものだが、いまや市場は供給過多で、高額の値がつく稀少本以外は、タダ同然の処分も当たり前だ(やむなく二束三文で手放したときの空しさよ。引き取ってもらえるだけマシではあるのだが)。

 要は、個人が抱え込んでいる本の行き先がないのだ。紀田さんが持っていたような蔵書ならまだいいのかもしれないが、ただむやみに本を増やしただけの場合はどうすればいいのか(「そんなの、捨てればいいじゃないか」という声が聞こえてくるが、そういう意見とは永遠に平行線をたどる)。戦前生まれの「教養世代」から団塊世代にかけての蔵書量は厖大だという。紀田さんが書くように、本人がさっさと死んでしまえば、あとは遺族がどうしようが知ったことではないのだが、「生前処分」しなければならないとしたら……。「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」という先の背表紙の言葉が迫る。

 もはや蔵書は個人のものにとどまらず、「公共財」という視点が必要なのかもしれない。各自が本を共用スペースに持ち寄り、棚を共有する「集団本棚」の可能性が紹介される。「あとがき」にあるように、本の電子データ化も“一つの解”ではあるのだろう。だが、それは「紙の本の文化的蓄積とは別の問題」だというのは、この本を通読すれば、何度でも首肯するところで、誰しも納得のいく“解”は見当たりそうにない。

 紀田さんは別の場所で、「死灰の日々から気力を振り絞るようにしてものした著作である」と書いている。本に人生を賭した著者、“一世一代”の本なのだ。この本だけは、わが家のなかでも目立つところにきちんと置いておきたいと思っている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

高橋伸児

高橋伸児(たかはし・しんじ) 編集者・WEBRONZA

1961年生まれ。「朝日ジャーナル」「週刊朝日」「アサヒグラフ」、論壇誌「論座」、PR誌「一冊の本」、単行本・新書の編集部を経て、2011年から言論・解説サイトWEBRONZA(朝日新聞社)の編集者。つくった本は、『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、藤崎康『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』、中島岳志『秋葉原事件』など。