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小池都知事、朝鮮人犠牲者追悼文取りやめの深刻さ

虐殺を隠蔽し、否定したい人々には十分なメッセージ

加藤直樹 ノンフィクション作家

関東大震災での朝鮮人犠牲者を悼み、慰霊碑の前にしゃがみこむ女性=1日午前10時17分、東京都墨田区の都立横網町公園拡大東京都立横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」
 都立横網町公園は、東京・両国駅近くにある。関東大震災と東京大空襲の犠牲者を追悼することを目的とする公園だ。その一角に、震災時に虐殺された朝鮮人を追悼する「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」が建っている。

 「日朝両民族の理解と友好」を掲げる日朝協会を中心に文化人や僧侶、東京都議会に議席をもつ各会派の幹事長が集まってつくった実行委員会が建立したもので、寄付などの形で協力したのは、当時の美濃部亮吉都知事、社会党・共産党・自民党・公明党・民社党の国会議員や地方議員、寺院、劇団、法律事務所、企業、労働組合など、約600人の個人と250の団体に上る。1973年9月に建立が実現し、東京都に寄贈された。以来、この碑の前で毎年9月1日、追悼式典実行委員会の主催で朝鮮人追悼式典が行われる。都知事の追悼文も寄せられてきた。

 ところが今年、小池百合子都知事がこの追悼文を出さないと決定し、波紋を呼んでいる。

 新聞各紙は、この決定の背景に、今年3月2日、古賀俊昭都議が都議会で行った一般質問があるとしている。古賀都議はこの日、朝鮮人追悼碑の碑文に朝鮮人犠牲者数として「6000人」と刻まれていること、追悼式典の案内状にも「6000人」の文字があることを「一方的な政治的主張」だと問題視して「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と小池都知事に迫ったのだと、新聞は報じている。

 この質問が今回の決定のきっかけとなっていることは間違いない。ただし、議事録を読めば、古賀都議が行った質問の内容は新聞各紙が指摘する「6000人」だけの話ではなかったことが分かる。むしろ報道されていない部分に彼の質問の主眼があり、そこに小池都知事追悼文取りやめ問題の、理解されていない深刻さが表れている。古賀質問をターニングポイントとして前後の経緯を見ることで、問題の本質が見えてくる。

虐殺「6000人」という数字の意味

 まずは古賀質問の内容を吟味してみようと思うが、最初に新聞各紙が焦点を当てた「6000人」という数字の意味について整理しておこう。

 関東大震災時に、どれほどの朝鮮人が殺されたのか。その正確な数を確定的に言うことは不可能である。そのことは虐殺の研究者が口をそろえて指摘している。では「6000人が殺された」という数字はどこから来たのか。これは、震災の翌月、翌々月と朝鮮人留学生ら10人ほどが警察の妨害をかいくぐって関東全域を踏破して調査した結果を基に、上海に本拠を置く独立派の新聞がその年12月に発表したものである。正確には、この新聞は死者を6661人とした。

 この数字は、朝鮮人虐殺についての歴史学的研究が始まった60年代初め以降、最も有力な推計として考えられてきた(この他に、朝鮮人留学生による同じ調査の途中の取りまとめを基にした吉野作造論文の「2613人」などの推計がある)。震災当時の日本政府は、朝鮮人の遺骨を処分するなど事態の隠蔽と矮小化に努めた一方で、まともな調査をしなかった。そのため、同胞の死の真相を明らかにしようという熱意をもって行われた朝鮮人留学生の調査が説得力を持つのは当然だった。

 そのため近年まで、一般的な歴史書では「6000人が殺された」と書いてあるのが普通だった。たとえば私の手元にある本を見ても、「新しい歴史教科書をつくる会」で理事を務め、今はフジサンケイ系の育鵬社の歴史教科書の編集に参加する伊藤隆・東大名誉教授が、1989年に発表した文章(『日本歴史大系5近代II』収録の「中間内閣と政党内閣」、山川出版社)の中にも、あるいは防衛大学学長も務めた猪木正道・京大名誉教授が95年に刊行した本(『軍国日本の興亡――日清戦争から日中戦争へ』中公新書)の中にも、「6000人が殺された」という記述がある。

 犠牲者数についての検証があらためて試みられたのは、70~80年代、地域住民の証言や記録の掘り起こしなどを通じて各地の虐殺の実態が詳細に明らかになっていった後のことだ。虐殺研究の第一人者である山田昭次・立教大学名誉教授が2003年に、各地の掘り起こしを踏まえて「6000人」という数字の信ぴょう性を検証し、これを「そのまま肯定できない」「朝鮮人虐殺数が数千人に達したことは疑いないが、これを厳密に確定することはもはや今日では不可能である」と指摘している(山田『関東大震災時の朝鮮人虐殺――その国家責任と民衆責任』創史社)。

 こうした研究の進展により、最近は「数千人に上ると見られる」といった幅のある表現が多くなった。2008年にまとめられた内閣府中央防災会議の専門調査会報告「1923 関東大震災【第2編】」では、朝鮮人や中国人、そして間違えられて殺された日本人の被殺者数について、千人~数千人という推計を示している。ただし、今でも「6000人が殺された」と書いてある本は少なくないし、現時点では、そうした記述が明確な誤りだとまでは言えない。

 こうして見てきたとき、追悼碑に「6000人」が殺されたと刻まれているのは、1973年という時期を考えれば全く不自然なことではなく、古賀都議の言うような「一方的な政治的主張」とか、「相手(碑の建立者)のいうがまま」に押し付けられたなどということは言えないことが分かる。その数字にことさらな政治的意図を読むのは無理だ。

「虐殺否定論」を広げた「ネタ本」

 そもそも古賀都議は、「6000人」ではなく内閣府中央防災会議の報告書に基づく「数千人」という数字が刻まれた碑文であれば、満足したのだろうか。そんなことはないだろう。というのは、新聞がほとんど報じていないことなのだが、実は彼が3月2日の一般質問で最も力説しているのは、犠牲者の数ではなく、そもそも朝鮮人が一方的に虐殺されたということ自体が事実ではない、ということなのである。そのことは、3月2日の議事録をきちんと読めば分かる。

 古賀都議は質問の冒頭、横網町公園の朝鮮人追悼碑について触れた上で「私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。 ・・・続きを読む
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筆者

加藤直樹

加藤直樹(かとう・なおき) ノンフィクション作家

1967年、東京生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。著書に『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、『NOヘイト!――出版の製造者責任を考える』、『さらば、ヘイト本!――嫌韓反中本ブームの裏側』(ともに共著、ころから)、『戦争思想2015』(共著、河出書房新社)、最新刊に『謀叛の児――宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)

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