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黒沢清監督の『散歩する侵略者』拡大黒沢清監督『散歩する侵略者』公式サイトより
 黒沢清監督の『散歩する侵略者』の放つ強烈なエモーション、そして得体の知れぬ恐怖やまがまがしさ、あるいは頓狂なユーモアは、いったい何なのか。なかなか言葉にならない。凄い映画を見たというショックは脳裏に焼きついているのに、その凄さを言葉にできない、というもどかしさ。……ともあれ、ひとまずは「侵略SF」と呼べる『散歩する~』の物語的主題――人間の皮を被った侵略者/宇宙人が引き起こす異変がコアになる――に触れつつ、その魅力の核心になんとか接近してみたい(原作は劇作家・前川知大の同名の戯曲と小説)。

人間から<概念>を奪う宇宙人

 ある地方都市を舞台にする物語のアウトラインは、こうだ。夫・真治(松田龍平)は、何日間かの失踪後、別人格になって妻・鳴海(長澤まさみ)のもとに戻ってくる。真治は元の彼ではなく、彼の体を乗っ取った宇宙人で、地球侵略を目論んでいたが、それを真治から告げられた鳴海は、困惑しながらも彼と意思の疎通を図ろうとする。

 同じころ、町では一家惨殺事件が発生するが、ジャーナリストの桜井(長谷川博己)は事件を嗅ぎ回るうち、二人の若い宇宙人/侵略者と意外な形で関わることになり、やがて鳴海・真治夫妻のドラマと桜井のドラマは重層し、破天荒な展開に……。

 プロットの構成上ユニークなのは、オープニングの血なまぐさい一家惨殺事件のシークエンス以後、中盤までは二つの物語が同時進行する点だ(むろん実際には、二つの物語は相前後してカット・バック的に描かれるが、後半でそれらは交差し絡み合い、スリリングな連鎖反応を起こす)。

 ここで、便宜的に二つの物語を(1)と(2)に分けるなら、(1)は、夫・真治/松田龍平と妻・鳴海/長澤まさみをめぐる物語、(2)は、一家惨殺事件の真相を探るジャーナリスト・桜井/長谷川博己と謎の若者、天野(高杉真宙:たかすぎ・まひろ)と立花あきら(恒松祐里)をめぐる物語、となる。すなわち――

(1)真治は、数日間の行方不明の後、別人のように穏やかになって帰ってくる。失踪前の真治は身勝手な性格で、夫婦仲は冷え切っていたので、鳴海は彼の変化に戸惑う。さらに奇妙なことに、会社を辞めた真治は、毎日ぶらぶらと散歩をするばかりで、その途中で犬に話しかけて嚙まれたり、迷子になったり気を失ったりで、鳴海を困惑させ、苛立たせる。

 そんなある日、真治は鳴海に驚くべき告白をする。真治は、自分が地球を侵略するためにやって来た宇宙人で、散歩中に出会った人間(地球人・人類)から<概念を奪う/学習する>ことが目的だと言い、さらに、鳴海にその学習のための「ガイド」になってくれ、などと言うのだ。真治の告白に混乱した鳴海は、半信半疑の状態になり不安をつのらせるが、やがて夫(の体を乗っ取った宇宙人)をかけがえのない存在であると思うようになる(つまり(1)は夫婦の再生のドラマという形をとる)。

(2)一家惨殺事件を取材していたジャーナリストの桜井は、妙になれなれしい態度で近づいてきた若者・天野と共に、一家惨殺事件の唯一の生き残り・立花あきらが収容されている病院に行く。そこで桜井は、天野とあきらが刑事と会話するなかで起こった怪現象を目撃し、彼と彼女が不思議な能力の持ち主であることを知る。

 真治同様、天野は、自分たちは「侵略者/宇宙人」で人間の<概念>について調査しており、自分たちが<概念>を学習すると相手からはそれが抜け落ちる、と言う(天野の妙にあっけらかんとした物言いが不気味)。つまり、天野らによる人間の<概念>の学習とは、人間から<概念>を奪い取ることであり、それが侵略の前段階であったが、概念を奪われた人間はその人格を一変させてしまうのだった。そして、天野もまた桜井に、その学習のための「ガイド」になってくれ、と言う。

 桜井は、天野とあきらの言動を怪しみながらも、もう一人の仲間(真治)を探すという彼らに密着取材を申し入れ、以後彼らと行動を共にするが、やがて物語は、想像を絶する驚愕の展開を見せ(格闘技的アクションあり、ミリタリズム・テロを思わせる機関銃乱射あり、自衛隊の無人機(ドローン)による空爆あり……)、ついにはこの世の終わりを告げるような「最終戦争」めいたディザスター/大災厄の様相を呈し、他方で胸に迫る一途なラブストーリーを結晶させる――。

神がかったオープニング

 『散歩する~』の物語は、とりあえず、このように整理できる。しかし、正確には二つではなく、三つの物語がそれぞれ語り起こされる、つまり本作には三つのイントロ/導入部がある、というべきだ。なぜなら、一家惨殺事件が描かれるオープニングで、セーラー服姿の女子高生・立花あきら/恒松祐里が、じつは事件の犯人として登場するからだ。

 厳密に言えば彼女は、あきらの肉体を乗っ取った宇宙人/侵略者だが、この非情な若きファム・ファタールは、画面に最初に登場する主要人物である。そして、荒らされた薄暗い部屋に二つの血まみれの死体が並んだ、いかにも黒沢ホラー的シーンの直後、あきらは血染めのセーラー服姿のまま、不敵な薄笑いを浮かべたりして、車道の真ん中をかったるそうに歩くのだが、この奇天烈なショット一発のインパクトで、観客は否応なく映画の中に引きこまれる(見事なつかみ!)。

 しかも、何食わぬ顔で歩くあきらの背後で、彼女をよけようとした車とトラックが衝突し、横転したトラックの荷台からドラム缶が勢いよく路上に落下し、情景の異様さは増幅され、さらに、その異様さとは一見ミスマッチな変に軽快な音楽が流れ、このシーンの不可解な衝撃度はいや増す――というふうに、オープニングから黒沢演出は神がかったように冴えわたる。

長澤まさみ・松田龍平「夫婦」のリアル

 このショッキングなオープニングに続くのは、前段で物語(1)と名付けた、侵略者に乗っ取られ、記憶の大半を失った夫・真治の帰宅で始まる、夫婦間の奇妙なドラマだ。……人が変わったように物静かになった真治は、しかし、家の近くを夢遊病者のようにふらふらと散歩し、ずっこけるように転んだり、気絶して道沿いの草むらに倒れこんだり、突拍子もないことを敬語で口にしたりして、妻・鳴海を途方に暮れさせる(そうした真治の姿は、医師が鳴海にその可能性もあると言う若年性アルツハイマーや、あるいはナルコレプシー/日中に突然眠りに落ちる睡眠発作の症状を思わせもする)。

 そして、真治と鳴海の噛み合わない会話は、今後ふたりはどうなるのか、という不穏なサスペンスを生むと同時に、オフビートな笑いをも誘う。 ・・・続きを読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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