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[書評]『性表現規制の文化史』

白田秀彰 著

奥 武則 ジャーナリズム史研究者

背後の政治力学を明らかに  

 「当たり前」と思っていたことが、深く掘り下げられる。結果、どうやら「当たり前」でないらしいことが分かる――こうした経験は読書の醍醐味の一つだろう。本書によって読者は「性」について、この醍醐味を味合うことになる。

『性表現規制の文化史』(白田秀彰 著 亜紀書房) 定価:本体1800円+税拡大『性表現規制の文化史』(白田秀彰 著 亜紀書房) 定価:本体1800円+税
 (1)性そのものが抑制の対象になったのはなぜか、(2)性に関する表現(言語、絵画、写真その他)が抑制すべきものと考えられるようになったのはなぜか、(3)性表現を抑制することが法制化された経緯は何か、(4)青少年を性から隔離すべきだという理由は何か――という4つの問いが設定される。

 「猥褻」という言葉がある。法的用語としては厳密に規定されている。しかし、もともとそれは「庶民の日常生活の中でのだらしない様子」を指す言葉だった。いま私たちが「猥褻」という言葉から思い浮かべる「性」に関わる意味は直接的にはなかったのである。

 著者は、「猥褻」という言葉の現代的な意味は、もともと上層階級や宗教においてのみ保持されていた「性」に関わる規範が庶民にも適用される過程で生まれたのではないかという仮説を提示する。

 上層階級にとっては、彼らの地位を保証する有形、無形の財産を安定的に相続することが重要である。財産継承者が確定するまで、男女とも抑制された性生活が求められる。とりわけ結婚して世継たる財産継承者を産むまでの女性の性的な純潔には大きな価値が置かれた。

 こうした経済上の「望ましい規範」は、ヨーロッパではやがてキリスト教に結びつく。

 相続財産など持たない下層階級は、本来、こうした「望ましい規範」と無縁だった。だが、近代化と宗教の世俗化が進むとともに、この「望ましい規範」は「一人前の人間」が持つべき行為規範として道徳化していく。

 「規範」が生まれる政治力学が明快に解き明かされる。

 しかし、性に関する規制がそのまま性表現の規制に結びついたわけではない。この背景には印刷技術の普及や流通の拡大、庶民の識字率の向上と宗教の世俗化のさらなる進展という状況があった。

 著者は、性の規制の誕生が性表現の規制に結びついていく過程を英米法の領域で丹念に跡付けている。

 イングランドで初めて性表現が制定法によって禁じられたのは1857年のことだった。日本の明治維新のわずか10年ほど前に過ぎない。

 これ以後、それまでは宗教的秩序への攻撃とみなされていた性表現は、市民社会の秩序を守る立場から法制度によって規制されるようになる。

 よく知られているように、アメリカ合衆国憲法修正第1条は、「言論表現の自由」を定めている。性表現抑制の法制化は、当然、この「言論表現の自由」とせめぎ合う。

 著者は、判例を紹介しつつ、アメリカにおけるこのせめぎ合いの状況を追っている。興味深いのは、このせめぎ合いが具体的には市民社会における2つの勢力によって展開されたことである。

 「ニューヨーク悪徳抑圧協会」や「良書を求める全国の会」などの団体が性表現規制を求めて活発に活動した。一方、憲法上の自由と権利を擁護することを目的とした大規模な民間組織である「アメリカ自由人権協会」などは、性表現の規制に強硬に反対して運動を行った。

 さらにフェミニズムの関わりについての著者の指摘も重要だろう。

 女性解放を求める人々は1960年代以降、女性が性的に従属的な立場を求めているかのような性表現の規制を求める運動を活発化する。ここには、男性中心社会に対して異議を申し立てる政治的な闘争としての側面があった。

 こうしたせめぎ合いの中で、性表現を規制する根拠への問い直しが始まる。学術的な研究の多くは性表現には害はないとするものだった。具体的な害がない以上、「言論表現の自由」に反する規制は理由がないことになる。司法の判断は性表現規制を緩和する方向に進んだ。

 ここまでが1970年代はじめまでの経過である。

 その後、世論は保守化し、ふたたび性表現規制の強化を求める声が強くなった。しかし、インターネットの普及に代表される社会の現実はそうした声を吹き飛ばしていく。

 だが、性表現規制にとって唯一の聖域ともいうべきものが残された。「青少年/未成年/児童」という領域である。性表現規制の最後の根拠として「青少年保護」が、いま「絶対不落の要塞」として残されている。

 著者は、この「絶対不落の要塞」に対して果敢に攻撃の矢を放つ。インターネットが普及した現代、多くの若者たちは政府にも制御できない電子的な情報流通経路を経由して20年前には見ることができなかった赤裸々なポルノグラフィにふれている。だが、果たしてこうしたことが性犯罪の増加や若者の道徳的な退廃につながっているだろうか。さまざまな報告や統計は、これを否定している。若者たちの「性離れ」さえ喧伝されているのだ。

 著者は最後に、次のように指摘する。

 《「性」というもの、あるいは「性表現」というものをめぐる言葉の数々は、これまで政治・経済上の主導権争いの中で行われてきた規制を、「道徳」が「品位」の言葉で語るという「すり替え」のように思われます》

 著者は、各分野におけるスタンダードな研究書を十分に参照しつつ、独自な見解を織り込んだ。性表現規制をめぐる政治力学を明らかにした本書を通じて、読者は歴史のダイナミズムともいうべきものも垣間見ることができる。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) ジャーナリズム史研究者

新聞社に33年、後に大学教師14年(法政大学社会学部、2003~2017年)。新聞社では学芸部が長かった。最後は朝刊1面のコラムを担当した。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探――日露戦争期のメディアと国民意識』(中央公論新社)、『ジョン・レディ・ブラック――近代日本ジャーナリズムの先駆者』(岩波書店)、『幕末明治 新聞ことはじめ――ジャーナリズムをつくった人びと』(朝日新聞出版)など。