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「死ね」という言葉がなぜ日常の言葉になったのか

言葉への「畏怖」の念を忘れてはいけない

山口謠司 文献学

「韓国を竹島から叩(たた)き出せ!」と銘打ち、「殺せ」と連呼する反韓デモ=2月17日、東京・新大久保 2013拡大「殺せ」という言葉にリアリティはあるのだろうか?=2013年、東京・新大久保

 日本で「死ねー!」という言葉が広く一般の人の耳に入るようになったのは、どうやら、怪獣映画や仮面ライダーなどの特撮ヒーローものが発端のようです。ここでの「死ね!」は、人間が怖がる正体不明の不気味なものをヒーローが倒す際の決め文句として使われていました。

 (1960年代生まれの)僕らの世代は、子ども時代にそうした言葉をたくさん耳にするようになりました。とはいえ、僕らの世代は、まだ「死ね!」という言葉をそう簡単には使えません。というのも、まだ、戦争の記憶が社会に色濃く残っていたからです。戦争体験者はたくさん生きていました。実際に「死ぬこと」が目の前にあった、その恐ろしい戦争の話をたくさん聞かされてきたし、未だに原爆の夢を見てしまうほど、引き継がれた戦争の記憶は生々しく僕の中に残っています。「死ぬ」ことへの生々しい恐れがあるのです。畏怖の念です。

「されど、死ぬのはいつも他人」

 ダイダラボッチをご存知ですか? 日本各地で伝承されている正体不明の大きな存在です。「畏怖」の「畏」の字は、まさにこのダイダラボッチの姿を表しています。

 頭の「田」の部分は、目でとらえきれないほど大きな頭を、そして下半分は、長く伸びた手足を表しています。巨大な頭から伸びた長〜い手足を持つダイダラボッチは、夜中にやってきて、山を動かしたり川を作ったりすると信じられていました。まさに何をしでかすのかわからない存在への「畏れ」です。

 一方の「怖」の字は、心が布で覆われている状態を表しています。怖ろしさで心がどうしてよいのかわからなくなってしまうさまを意味しています。僕らの世代までは、そうした「畏怖」の念が存在していたといえます。

 ところが、それ以降、子どもたちの遊びはどんどん進化していき、手のひらの中で相手をリアルに殺すようなゲームが増えていきます。「死ね!」と言いながら、バーチャルリアリティの敵をバカバカと殺していく。ところが、敵はすぐに復活してくるから、さらに強い武器を手にいれて、際限なく殺し続ける。

 もはや、そこにあるのは正体不明の怪物ではなく、殺しても簡単に復活して増殖していくモンスターたち。彼らは畏怖の存在ではなく、「殺す」ことも、取り返しのつかないことではなくなりました。

 あるいは、科学技術の進歩により、不治の病も治るようになり、死はいつのまにか遠いところへいってしまったようです。

 栄養を口から摂取できなくても、胃ろうという方法があります。さまざまな延命のための装置をまとわされて生き続ける高齢者。時に、介護をする人たちの心身が蝕まれていくような高齢者介護の現実があります。

 人の生死のリアリティが、どこかへ置き去りにされてしまった。

 まさしく、フランスのアーティストであったマルセル・デュシャンが墓碑銘に刻ませた言葉「されど、死ぬのはいつも他人」という状態になってしまったようです。

スマホに対しても「死んだ」「生き返った」

 先日、中国山東省にある山東大学へ招かれました。そこで、A君という大学院生と話していた時のこと。 ・・・続きを読む
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筆者

山口謠司

山口謠司(やまぐち・ようじ) 文献学

1963年、長崎県佐世保市生まれ。大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院大学院を経て、大東文化大学准教授。専門は書誌学、音韻学、文献学。著書に『音読力――読み間違う日本語の罠99』(游学社)、『日本語を作った男――上田万年とその時代』(集英社インターナショナル、第29回和辻哲郎文化賞受賞)、『ん――日本語最後の謎に挑む』、『日本語の奇跡――「アイウエオ」と「いろは」の発明』(ともに新潮新書)、『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』(ワニブックス)など。