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[書評]『ハイデガーと生き物の問題』

串田純一 著

松澤 隆 編集者

動物と我々の「貧しさ」をめぐる冒険 

 興奮が冷めやらない。「ハイデガー」という字面だけで怖気をふるう人も多いだろう(私もそう)。しかし、そのハイデガーが、《動物は世界が貧しい》と述べたと知れば、「それってどういう意味?」と、怖いもの見たさでにじり寄る人もいるのではないか。

『ハイデガーと生き物の問題』(串田純一 著 法政大学出版局) 定価:本体3200円+税拡大『ハイデガーと生き物の問題』(串田純一 著 法政大学出版局) 定価:本体3200円+税
 本書はこのテーゼを軸に据え、20世紀で(色々な意味で)最も恐ろしい大哲学者の思考を読み解き、21世紀の(あなたや私も含む)「生き物」の意味を問いかける快著だ。

 専門書には違いないが、哲学の知識が充分でない読者でも読み進め得る洗練された修辞と、精緻を極めた構成が用意されている。その相乗がもたらす推進力のおかげで、〈明確に把握することは容易でないが、そこには何か比類のない洞察が示されている〉と知る。実はこれは、著者自らが本書を紹介する中でハイデガーの『存在と時間』を評した一節だ(『新潮』2017年12月号)。けれども、我々一般読者にとってこの言葉は、本書への賛辞に転用するのがふさわしい。

 もちろん、哲学関係者であれば本書は、(たぶん羨望とともに)「明確に把握」できるであろう。ハイデガーをいかなる理由であれ読んでいる人にとって、まず、1945年ドイツ敗戦直後の講演『貧しさ』はよく知られているらしい。そこで規定された「貧しさ」とは〈不必要なものを除いては何も欠いていないこと〉。また、テーゼ《動物は世界が貧しい》も、どうやら有名らしい。これは1929~30年の講義『形而上学の根本諸概念』に登場し、その全体像が明らかになったのは1983年(刊行の全集所収)という。以来、ハイデガーの動物論は〈一躍現代思想の重要なテーマとなった〉。

 それゆえ、哲学関係者にとって本書は、このテーゼを発したハイデガーが、そもそも「世界」と「生き物の存在」を、あるいはテーゼの前提である「主・述」関係をどう捉えていたかを、著者とともに(批判を堅持しつつ)跡づけ、問題の核心をしっかりと共有する(または激しく反発する)契機になるだろう。

 一方、ハイデガーに興味がなく、思索的生活から縁遠い一般人(私もそう)でも、「生き物とは」という問いかけには、自然科学へのふつうの関心さえあれば様々な場面で出逢っているだろう。20世紀の後半以降、分子生物学などの飛躍的進展が、「生き物」や「生命」の意味を激変させたことを知っている(と思っている)からだ。

 ところが本書は、それらの意味を再定義することと、さらに「貧しさ」の意味を先ほどの規定から代入してみせることで、自明のはずの〈世界〉を全く異なる概念として理解させる。いや、理解する回路へと案内してくれる。その衝撃は大きい。いわく、〈「貧しい」という表現は人間と動物の関係についてのいかなる価値評価も含んではおらず、人間に対して動物を下に置くというようなことは意味しない〉。もちろん、表層的な人間主義や、環境保護的な倫理観からの主張では、ない。

 さらには、ハイデガーのダーウィン批判を紹介したうえで、ついにこの恐るべき哲学者の生命理解を、〈生物を擬人化したり逆に人間的事象を過度に生理学化したりする傾向を容易に招く「適応」なる語と事態を、全体的環境や時間性というより広い視野から捉えよという、有益な指示〉と、喝破するのだ。

 著者は〈入学時は理科系だった〉(前述『新潮』)。その本領は第3章で発揮される。ハイデガーの生物学的関心が水準以上だったにせよ(例えばユクスキュル『生物から見た世界』の読解)、歿後いっそう進展した自然科学に照らし、大哲学者の理解力が古典的過ぎるのではという疑念を、著者は斥ける。

 細胞学、生化学、熱力学などを活用した明快な行文は、あたかも鍵盤楽器から出発した俊秀が、途中で弦楽器に転じて異なる技術と演奏効果を体得し、再び鍵盤に向かったかのよう。力強い打鍵、揺ぎ無いリズム、澄んだ和音にも似た論述に感銘を受ける。そして最終章で、芳醇な旋律に遭遇するのだ。ヘルダーリン、リルケ、彼らの〈言葉〉を媒介にした手塚富雄とハイデガーとの対話。詩の〈言葉〉でしか辿り得ない深淵に戦きつつ、そこに立たせてくれた著者を畏敬するほかない。

 思えば、著者の名を知ったのは、惹句「國分功一郎プロデュース」に釣られ購入してしまった『現代思想』キルケゴール特集だ(2014年2月号)。著者はなんと、在原業平の歌を引いて、〈実存の真理と言葉の秘密〉に触れた。また、同誌臨時増刊(2017年1月号)九鬼周造特集でも、同じ歌人を扱った。

 それらの論考は、決して「心あまりて言葉足らず」ではない。足りなかったのは「時間」だ。著者は、或る邦画を語る別の文脈の中で、こう言い切った。我々は〈これから少なくとも百年の単位に亘って生物学的諸問題に悩まされ続ける〉(「ユリイカ」2016年12月臨時増刊)。そこでは、実存した恐るべき哲学者ではなく、虚実の間に漂う巨大生物(ゴジラ)と我々の関係が、論じられた。笑っている暇はない。本書が最後に掲げるのは、〈生き物として自分自身〉を理解できる人間だけが持つ〈時を破る可能性〉だからである。

 いったい我々は、「貧しさ」すなわち〈不必要なものを除いては何も欠いていない〉世界に住めるのか(著者が本書では触れていないAIの問題も想起される)。「生き物」たる人間と「時間」の意味を問う著者の冒険が、今後も続くことを望んでやまない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

松澤 隆

松澤 隆(まつざわ・たかし) 編集者

みすず書房で出版営業、表現研究所(現・小学館クリエイティブ)で編集全般、春秋社で書籍編集に従事し、その後フリー。企画・編集した主な書籍は、佐治晴夫『からだは星からできている』『14歳のための時間論』、小山慶太『星はまたたき物語は始まる』、鎌田浩毅『マグマという名の煩悩』、立川談志『世間はやかん』など(以上すべて春秋社刊)。