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[書評]『貧しい出版者』

荒木優太 著

西 浩孝 編集者

紙屑の可能性、在野であることの自由  

『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(荒木優太 著 フィルムアート社) 定価:本体2800円+税拡大『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(荒木優太 著 フィルムアート社) 定価:本体2800円+税
  『貧しい出版者』というタイトルを書店で目にして、その前を素通りすることができなかった。「貧しい出版者」にちがいない私である。ああ、あなたもそうなんですか。で、どんなことを書いているんです? 著者は「在野研究者」を名乗り、清掃員のアルバイトをしながらウェブを中心に自身の文学研究の成果を発表してきた1987年生まれの人物。期待(不安?)がふくらむ。

 人は様々な理由から本を書く。自分の切実な思いを訴えるために、名声を手に入れて他人からチヤホヤされたいがために、印税を得て明日の急場をしのぐために、未来にメッセージを残さんがために……けれども、往々にして熱心に傾けた書き手の情熱など無残に無視され、ある出版物は新刊ラッシュに埋もれてやがて絶版状態に陥り、他のものはそもそも本屋にも置かれず倉庫の片隅にうずたかく積まれる。書物が不良債権のようにみえる時がある。

 イエス。寒さ厳しい折、不景気な話はいっそう身にこたえます。でもこれはまだ本書の序の口なのだ。

 つながることに躍起することで、きっと私たちはどんどん貧しくなっていく。毎月のように本を出す粗製乱造作家を見よ。内実がだんだん空疎なものになっていく。ただただ紙屑(ゴミ)だけが増える。正しい。けれども、富むことも貧しくなることもない確固たる自分に安住することよりも、つながりを選ぶにしろ、つながりを否定するつながりを選ぶにしろ、つながりに賭けるときに不可避的に生じる、この本質的な貧しさから出発したい。

 オーケー。著者は腹をくくっている。出版者が貧しさから逃れる手立てなどを述べる気は、さらさらないようだ。がっかりしてはいけない。もう少し著者の声に耳を傾けよう。こうした態度は、どこから来たのだろうか。

 著者は大学院生時代、指導教授からことあるごとに「研究者になりたいのなら教師になるしかない」と言われていた。だが、文学が好きであることと教師になることとの間には、なんのつながりもない。教授が言っていることが事実だとしても、なぜそれをまるで運命のように受け入れなければならないのか。著者は、その事実を変えていく方途はあるはずだと考え、在野で研究していくことを選んだ。著者にとって大事だったのは、どうやったら人は「しかない」と言わないで生きていけるのか、ということだった。

 それからまもなくして、完全自費出版による第1作『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション)が生まれた。執筆のほか、校正、装丁、データ入稿まですべて自分でまかない、印刷部数は150部、かかった費用は25万8025円。発売から約1年のうちに、手売りで30冊、Amazonで69冊が売れた。

 私は本を書きながら自分が一人のプロレタリア作家になったような錯覚を覚えた。それは電子も紙も手段を選ばずにアクセシビリティ(接近可能性)を高めようとする自分の方法と、多喜二のプロレタリア文学観が重なったように感じたからだ。本は専門書らしからぬ文庫の形にした。それは多喜二が自分の小説を通勤時間で読めてしまうような「電車小説」と自称していたことを考えていたからだ。書物の形態が、読書と読者の有り様を事前に決定してしまうことがある。高価で分厚く重い専門書の読書を支えるには、高いリテラシーと読書に割ける一定の暇と腰が痛くならない椅子が必要だ。しかし、それを手に入れられない者たちには研究にアクセスする資格がないのだろうか。私は断じて否と思う。通勤しながら、労働しながら、夜風呂に入りながら、それでも可能な研究の形が存在しないと、一体誰が決めたのだろうか。

 こういった経緯を踏まえたうえで、本書に再録された『小林多喜二と埴谷雄高』の全編を読んでみるとよい。「貧しさから出発せよ」という著者の力強い宣言の意味が、対照的なふたりの作家を論じたこの評論をつうじて、ビビッドに伝わってくるはずだ。

 本あるいはそこに書きつけられた文章は、しょせんは「偶然」の出会いに依存するしかないような、根本的な弱さ、不安定さを抱えたものである。しかしそれゆえに、本来出会うはずもない者たち、出会いたかったけれども出会えなかった者たちを、当人も気づかないまま出会わせることがある。そこにこそ、紙の闘争に賭けた多喜二と埴谷の運動の真髄があり、また著者の冒険もあるのだ。

 屑とは、動植物を超えて「あらゆる人間に親しいものの微細な断片」である。〈すべて〉に到らない粉々の断片だけが、同じく出来損ないの人間と人間、その間をなかだちする。なんども失敗してこっぴどく叱られて自己嫌悪して調子に乗ってまた下手こいて嫉妬して。実にクズらしい、しかし、そんなどうしようもない親しみやすさだけが完璧ではない人と人とをとり結ぶ。人間が〈すべて〉に到達できないということは、人間が自由に生きているということの証であり、エミール・デュルケムが直観したように、他者との連帯の条件である。「あらゆる人間に親しいもの」を求めて、泥にまみれて泥臭く行け。「泥溝」(ドブ)は世界中の屑が生き延びるために集うインターナショナルなアドレスである。

 「しか(た)ない」という言葉は、試行錯誤を繰り返したあとの飲み屋の愚痴にまで取っておけ。「貧しさ」から逆説的にいくつもの可能性を引き出してくる著者の論述に、稀なる自由の姿を見た。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

西 浩孝

西 浩孝(にし・ひろたか) 編集者

1982年、富山県生まれ。現在、長崎市在住。2016年9月まで大月書店編集部に勤務。これまで編集した本に、藤井貞和『言葉と戦争』、宮地尚子『傷を愛せるか』、アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』、代島治彦『ミニシアター巡礼』、鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民―あらたな歴史をきざむ民―』、NHK取材班『あれからの日々を数えて―東日本大震災・一年の記録―』、青木深『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958―』など。