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[書評]『例外時代』

マルク・レヴィンソン 著 松本裕 訳

木村剛久 著述家・翻訳家

1970年代におきた経済の地殻変動

 20世紀後半の経済史は「世界の多くの地域で異常なほどの好景気が見られた」戦後期と、「繁栄のぬくもりが冷たい不安感に取って代わられた」1970年代半ば以降とに分けられるという。しかし、本書が単なる経済書ではないと感じるのは、ここにはぼく自身のこれまで生きてきた時代が、多彩な人物とともに世界的視野でえがかれているからかもしれない。

『例外時代──高度成長はいかに特殊であったのか』(マルク・レヴィンソン 著 松本裕
 訳 みすず書房) 定価:本体3800円+税拡大『例外時代――高度成長はいかに特殊であったのか』(マルク・レヴィンソン 著 松本裕 訳 みすず書房) 定価:本体3800円+税
 いろいろなことを思いだしながら読んだ。繁栄の時代から不安の時代へというのは、まるで自身の心象風景のようでもある。不安の時代の先には何があるのかという思いにも駆られる。

 社会主義が崩壊したあと、資本主義もまた終焉を迎えるのだろうか。それとも何かこれまでとはまったくちがうポスト資本主義の世界が生まれようとしているのだろうか。

 だが、それは本書の課題ではない。焦点となるのは1970年代である。あのころ、経済史のうえでは「例外時代」だった黄金期が終わって、競争と格差という通常の経済過程が再開されたのだという。

 いったい何がおこったのだろう。重点はその時代を再現することにおかれている。「例外時代」、すなわち高度経済成長時代はむしろ背景として論じられるにすぎない。中心となるのは「例外時代」ではなく、黄金期の崩壊過程だといってもよい。そして、われわれはいまポスト黄金期を生きているわけだ。

 戦後の四半世紀はどういう時代だったのだろう。1945年から1970年代初頭までは、驚異的な経済発展があり、人びとの生活水準は大きく上昇した。多くの庶民がマイホームを獲得した。冷蔵庫やテレビ、洗濯機、掃除機、自動車などが普及するのもこの時代である。失業保険や老齢年金、健康保険なども導入され、福祉が充実する。子どもたちは親の扶養義務をまぬかれるようになった。高校や大学への進学率も高まっていく。戦争が終わった荒廃のなかで、こんな奇跡がおこるなどとは、ほとんどだれもが思っていなかった。

 こう書いていて、ぼく自身も少年のころを思いだす。わが家にテレビがやってきたのは中学生のころだ。そのころまで冷蔵庫や洗濯機も掃除機もなかった。あのころはご飯もかまどで炊いていた。父親が自動車に乗るようになったのは高校にはいったころだろうか。それまでは自転車やスクーターだった。ぼくが大学に行けたのも、たぶん高度経済成長で家庭にゆとりができたおかげである。ああそれなのに、と反省はつづくけれど。

 自分のとしのせいもあるが、その後あの時代の高揚感はなくなってしまった。だが、はたしてそれは黄金期だったといえるのか。たしかに生活革命はもたらされたが、そのいっぽうで、何ごともカネの時代がはじまっていた。工場や家庭の排水で海や川は汚れに汚れていた。アジアでは冷戦どころか朝鮮戦争にはじまりベトナム戦争にいたる熱い戦争がつづいていた。黄金期の陰ではすでに闇が深くなっていたのだ。68年の学生反乱などを嚆矢として、その闇が噴出するのが1970年代だったのではないだろうか。

 本書は70年代におきた経済の地殻変動に焦点をあてている。

 1972年にローマ・クラブは『成長の限界――ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』(ダイヤモンド社)というセンセーショナルな本を出版した(実際の著者はマサチューセッツ工科大学の研究者グループ)。そこには、世界がこのままあくなき経済成長をつづければ、環境汚染、資源枯渇、人口増加、食料不足によって、100年後に地球が危機におちいると記されていた。しかし、ローマ・クラブの報告をまつまでもなく、すでに環境汚染は深刻さを増していた。各国が野放図な経済活動に歯止めをかけ、環境規制を実施するようになったのはこのころからだ。

 さらに1973年にはふたつの大きなできごとが発生する。ひとつは固定為替制から変動為替制への移行、もうひとつは石油ショックである。アメリカは1971年のスミソニアン協定により、なんとか固定為替制を維持しようとしたが、国内のインフレと為替投機が進んで、けっきょくもちこたえられなかった。いっぽうドル建てで収入を得ていた石油輸出国機構(OPEC)は、弱くなるドルに不満をいだき、以前から石油価格の値上げを要求していた。そこに第4次中東戦争が勃発し、OPECはいきなり石油価格を2倍に上げるという行動にでた。それにより各国の生産コストは一気に上昇し、インフレにもかかわらず経済が停滞するスタグフレーションが発生した。

 石油価格の上昇は産油国にオイルマネーをもたらした。だが、皮肉なことに、オイルマネーは国内に直接投資されることなく、欧米の銀行に流れこんでいく。その結果、イギリスやドイツでは不動産バブルが生じ、それがはじけて、多くの中小銀行が破綻した。為替相場の変動とあいまって、金融システムがマネーゲームによって振り回される時代がはじまったのだ。

 石油ショック後の状況に対応するため、アメリカは規制緩和を打ちだす。それによって企業の競争を促進し、イノベーションをはかり、経済を活性化しようとした。だが、競争の激化によって、それ以降、経済の安定性は失われ、産業分野や地域に激しい盛衰の波がやってくる。

 いっぽう日本はアメリカとは対照的に、エネルギーの節約をはかり輸出を増大させることで危機を乗り切ろうとした。日本の自動車輸出量は1973年から1980年のあいだに3倍となった。高性能のテレビやカメラ、精密機械、電子機器、コピー機などの輸出にも拍車がかかった。だが、それによって貿易摩擦が生じ、アメリカは保護主義へと動いた。日本は自動車輸出の「自主規制」を迫られていく。

 1970年代半ば以降のもうひとつの特徴は、戦後の平等化傾向が逆転することだ。賃金の伸びが鈍化し、経済格差が広がっていった。これはほぼ世界共通の現象である。ほとんど大きくならない経済のパイにたいし、労働者の受け取る報酬分が減り、資本の所有者の取り分が増えていく。技術進歩と競争の激化によって、労働分配率が下がっていった。

 さらに福祉国家の理念もこのころから逆風にさらされるようになった。経済が低迷し、社会保障への要求がふくらむなか、ほとんどの国が税率を引き上げている。それでも帳尻はあわなかった。そこで、政府は借り入れを重ね、財政赤字があたりまえになっていく。

 政治も方向性を失っていった。ソ連では民衆の不満が高まり、やがて体制崩壊へといたる。西側でも第2次世界大戦後の経済モデルが破綻し、それまでの左派政権が崩壊していく。イギリスでは1979年にサッチャー政権が成立する。1980年、アメリカではカーターに代わって、レーガンが大統領に当選した。西ドイツでも1982年にこれまでの社会民主党に代わって、キリスト教民主同盟のコール政権が誕生する。日本でも中曽根政権が成立した。こうして世界の政治はこぞって右旋回していく。唯一の例外が社会党のミッテランが大統領に就任するフランスだった。

 サッチャー政権は国営企業の資産を売却し、次々と民営化を進めていった。だが、その経済的実績はけっしてかんばしいものではなかった。いっぽう、ミッテランは社会主義路線に沿って、当初、公共支出を拡大し、国有化を推し進めるが、経済は活性化せず、途中で方針を転換せざるをえなくなった。

 レーガン政権は「小さな政府」をうたい、富裕層への減税と社会給付のカットを実施する。だが、軍事増強をめざしたため、政府支出は削減できなかった。アメリカが一見元気になったようにみえたのは、海外からの資金が流入し、株価が上昇したからだ。企業の投資は製造分野にではなく、金融市場に向かっていく。その陰で地域経済はどんどん疲弊し、大規模工業地帯は荒廃していった。富裕層が豊かになれば、下層の人びともやがて豊かになるという約束は、いつまでたっても実現されなかった。多くの世帯が住宅や自動車のローン、クレジットカードの支払いをかかえて苦しんでいた。

 それ以降、状況はあまり変わっていない。

 著者は次のように指摘している。もはや自由市場という魔法の薬も、政府の力強い計画も、経済の鈍化を回復させることはできない。世帯収入が停滞し、所得の伸び率が低下すれば、生活水準の向上も見込めない。株価が上がって景気がよくなったようにみえても、下層では生活水準の低下に苦しむ人びとが多くなっている。2008年のバブル崩壊は、生産性の伸び率以上に早く経済を成長させようとした政治介入の結果だったが、それと同じことがおきないという保証はない。

 こう書くと、なんだか気が滅入ってくる。資本主義は行き着くところまで行き着いてしまったようにみえる。豊かさと便利さを求めて拡大しつづけた経済体制は、膨大な商品やサービスを生みだすなかで、多くの人をすりつぶし、麻痺させ、疲弊させ、不安へと追いこむようになった。

 もはや、社会主義もケインズ主義もマネタリズムも新自由主義も賞味期限が切れてしまった。だとすれば、新たな経済構想が求められているのだろうか。たぶん、そうではない。求められているのは、新たな文明の構想なのである。現在が歴史の大きな変わり目であることを示唆しながら、本書は読者に歴史から学ぶことの重要性を教えてくれる。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

木村剛久

木村剛久(きむら・ごうきゅう) 著述家・翻訳家

共同通信社で長く書籍を編集し、『妻たちの思秋期』(斎藤茂男)、『もの食う人びと』(辺見庸)のほか、『マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓―』(R・マクナマラ)、『現代史』上・下(ポール・ジョンソン)などを手がける。自身の訳書・共訳書に『国民の天皇』『紀元二千六百年』(共にケネス・ルオフ)など、著書に『蟠桃の夢―天下は天下の天下なり―』(トランスビュー)がある。